退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

本当のおもてなしⅲ

 お遍路をやりたかった、あるいは、関心があるという方が案外多いように思いますので、お遍路についてイロハのイを書いてみます。


 四国霊場八十ハヵ札所巡りは、一番札所,霊山寺(徳島)から八十ハ番札所,大窪寺(香川)までを「歩き遍路」をするのが、ならわしです。コースの取り方によって全行程は1200㌔から1400㌔あります。札所の順番通りに歩くのを「順打ち」、八十ハ番札所から逆コースで歩く場合は「逆打ち」といいます。うるう年に逆打ちすると、ご利益が大きいといわれます。


 遍路さんは、開いたのが弘法大師空海ですから、真言宗派の信者さんが多いかもしれませんが、誰でも受け入れています。札所にも天台寺門宗、曹洞宗、臨済宗など真言宗に限りません。道中ではイギリス人、アメリカ人にも会いました。かつて韓国人を差別する掲示を出すバカがいましたが、論外です。


 さて、一気に全行程を歩くのは、「通し打ち」といいます。4県ごとに区切り歩くのは「一国参り」。休日、仕事の都合、健康状態などを勘案して、例えば5日間だけ歩き、次回はそこからつないで歩くという「区切り打ち」もあります。


 現役の勤め人や体の弱い人は「区切打ち」がいいでしょう。ぼくたちは半年間に7日、7日、7日、22日と四回に分け「区切り打ち」して結願のあと、いったん帰宅後に高野山にお参りしました。現地への往復には高速バスを利用しました。


 歩き遍路の服装や装備といえば、全く自由です。野球帽にジーパン姿の人もいましたが、雨具(折り畳み傘よりカッパがいい)、スマホ、遍路地図(A4版の「へんろ保存協力会編    四国遍路ひとり歩き同行二人」がいい。通称、黄表紙。これにはコースのほか、遍路宿一覧が電話番号付きで載っていて便利)が必携です。足元は靴ずれしないスニーカーがいいでしょう。


 なるべく遍路だということが、わかった方が安心されますので、上着だけでも背中に「南無大師遍照金剛 同行二人』と書かれた白衣を着るといいです。昔からのショルダーバッグふうの袋がありますが、いまは僧職の方を含め、ほとんどリュックとウエストポーチ姿です。


 数珠をはじめ納経帳、(人によっては掛け軸)、納め札、すげ笠や金剛杖などは、一番札所はじめ途中で買いそろえることができます。札所での御朱印料は遍路霊場会の取り決めで一回300円と決まっています。300円×88か所=26、400円也が御朱印代。お賽銭とは別です。納経軸(掛け軸)なら一回500円が相場でした。


 いわゆる遍路宿は、札所の宿坊というのもあります。ここでは朝夕の法話を聴く機会もありますし、いまは、アルコールも解禁です。多くの遍路宿は商人宿、魚釣り人宿です。おばちゃん一人だけとか、老夫婦で営んでいる民宿ふうのもの。どこも親身な親切が身に沁みます。徳島や松山の都市部では、ホテルを利用しました。


 ホテルを除く宿泊代には相場があるらしく、どこも一泊夕朝食付きで6500円~8000円。夕飯にはどうしてもビールに手が出ますので、ほぼ一万円かかります。時期的にもカツオの美味しい季節でしたので、毎夕、新鮮なカツオ攻めでした。 


 もちろん素泊まりが利く宿もありますし、若い人は寺や海岸で野宿している方もいました。宿へは前日か当日朝のうちに予約の電話を入れます。確認のためにもスマホは欠かせないのです。


 四国は過疎地が広まっており、海岸線を歩いても歩いても、30㌔歩いてもコンビニ一つないところがありますので、非常食にパンをリュックに入れておく必要があります。


 宿のいくつかでは、朝出発時におかみさんが、「この先なんにもありませんからね」と言って二人分のおにぎり弁当を、そっと手渡してくれました。そっと、、、とお接待を感じるのは、他のバイク遍路や自転車遍路や魚釣り人の目につかないように、、、という気づかいを感じるからです。 


 宿から遍路道に戻れるまで道案内をしてくれ、見送ってくれた優しいおばちゃんもいました。地元の人は、歩き遍路には特別の配慮をしてくださると感じ入りました。


 ありがたいことを数々のお接待を受けて体験できまして、生涯の貴重な時間でした。が、一つだけあえて苦言を申しますと、肝心かなめの札所のお寺さんの遍路に対する応接が、いまいちのところがあり、不快な思いをしたことが再三ありました。納経所では遍路者を見下したような横着傲慢、あるいは、まるでビジネスライクなそっけない応対をするところがありましたことですね。


 テレビから目を離さずに納経帳に筆を執る方がいたり、室内で家族がゲームでもしているのか騒ぐ声が聞こえたり、振り仰ぐような大きなビルを建てている札所がある一方、いまだに悪臭を放つ汚い便所の札所もありました。遍路さんの立場へ配慮が欠けているのは、札所さん!!


 ぼくたちが歩いたときは、バスツアーなどが大半を占めて、遍路さんは年間15万人と見積もられていました。斜に構えてみれば、札所さんは、居ながらにして、大勢の遍路さんが現金が落としていく結構な仕組みに安住してか、どこかの既得権者と同じような緩みや慢心を感じさせるところがありましたね。


 まあ、お寺さんもそうかいな、そんな反面教師にはなりますが、残念に思います。

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