退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

本当のおもてなしⅤ

 「歩き遍路」をしますと、道中でお遍路と関わる人と出会い、お話する機会が,いくどかありました。


 このシリーズ一回目に紹介しました青年とは、お遍路が終わったあとも交流がありました。東京で勤め人をしていたが、田舎の父が亡くなったので、農業後継者になる決意、その前に覚悟を試す「歩き遍路」をしているという青年でした。


 背が高く、白装束がキリリと似合っていました。足が速く、ほぼ同時に宿を出ても、すぐに追いてゆかれるのですが、長い坂道の上にある札所を目指していると、早々と降りてくる青年に遇ったり、行く先々の宿では先着していて、夕飯を共にすることがありました。


 高知県の遍路宿で彼は「明日、いったん帰郷して失業保険の手続きをしてきます。そのあと、ここに舞い戻って続けます。追いつきますよ」と笑っていました。それっきり会う機会がなかったのです。


 ところが、年明けて届いた年賀状によれば、その後の道中で一人歩きする遍路娘さんと意気投合して、即結婚にゴールイン、春には子どもが生まれますとあって、奥さんとともに笑顔の写真がプリントされていました。その後、二児に恵まれて農業が板についた様子がわかる家族写真が送られてきました。


 弘法大師空海の敬虔篤実な熱烈信者の中年三人組としばらく同行したことがあります。男性二人と女性一人です。札所の山門をくぐる時から礼儀正しく,本堂や大師堂のまえでは、敷石の上にペタリを正座し、長時間、読経しています。雨が降っても、そのまま濡れて拝み続けています。宿を出るときも、宿のおばさんに向かって般若心経を唱えて、一夜の宿の御礼をしていました。


 山道で激しい雨とともに落雷が相次ぎ、恐怖に包まれましたとき、三人組から「さあ、人間だんごになろう」と呼びかけられて、ぼくたち夫婦と五人で頭を寄せて輪になって座り込みました。もちろん、三人組は経文を唱えています。”猿だんご”というのは知っていますが,危機のときの”人間だんご”というのは、怖さを分かち合い、連帯感があるものと知りました。


 三人組のうちの男性が、歩きながら懐かしみました。「十年前に歩いた時、お世話になった幼稚園はこのあたりだったかな」。やがて園のそばの道にさしかかると、お世話になったという女性がひょっこり。奇遇に歓喜しています。まるで仕組んだような出会い!。こういうのは”神がかり”というのかな。神がかりはヘンだから、仏縁というのか。驚きました。


 四国全域の遍路道には、多くの無料の休憩所が民間の手で作られ、寄贈されています。土地も資材も労力もみんな地元の人たちによるボランティァの力です。第一号の立派な休憩所「香峰」では、施主の女性の話を聞きました。


 ご主人を亡くしたのを機にご自身もお遍路さんをしたが、道中疲れ果てても休憩所がない、トイレがない、道端に腰を下ろすしかない実情をなんとかしたいと私財を投じたといいます。


 当時、近畿大の歌一洋教授が、お遍路さんに(弘法大師とともに)「同行二人の精神」と「やすらぎの場」と「祈りの場」を提供しようと「四国遍路小屋作り運動」を提唱されていました。その第一号となったわけです。


 歌一洋先生の呼びかけは、四国の人たちの琴線に触れました。「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクトを支援する会」が組織されています。遍路道沿いに「八十ハ霊場札所」を上回る「八十九ケ所」のヘンロ路休憩小屋をつくることを目標にしています。いまのところ五十七ヵ所の小屋が作られて、お遍路に欠かせないオアシスになっています。


 これらの小屋は、地元から提供された敷地、資金、土地柄に合わせて、一つとして同じデザインはない凝りようです。小屋には、たいてい地元の人たちから提供された飲み物とか菓子が奉仕されていました。場所によっては、仮眠することもできます。さらに「ヘンロ小屋ノート」が常備されており、利用者が心のうちを書いたりしています。


 まさに「おもてなし」の神髄を見る思いでした。以下に二枚の写真は、完成したヘンロ小屋の所在地、そしてプロジェクト提唱・主宰者の歌一洋先生が建てた小屋の数々です。


             (星印が完成した遍路小屋。歌一洋さんのホームページから引用しました)


        


       (google画像検索から引用しました。歌一洋さんが設計、建築された遍路小屋の一部)


 ほんとうに遍路道沿いの人々のお遍路さんに対するお接待の精神、惜しみない寛容と慈悲のこころに脱帽します。利害損得、俗塵にまみれた憂き世の現実からすれば、なんという性善説に満ちた桃源郷ではないかと感じいります。


 さて、最後の八十八番札所に向かう途中に遍路資料館があります。立ち寄りますと、お茶のお接待を受けて、館内を見学させてもらいます。お遍路の文化と歴史がよくわかる資料がいっぱいです。そして館長さん?から「四国遍路親善大使」の認定書をいただきました。


 ぼくたちは、これをリュックに収めて、県道を外れて女体山(774m)を登るコースに挑みます。最後の難関が、なぜか妙に艶っぽい山名なのが気になります。まだまだ悟りきっていない、生身の俗人ですね。


 雑木をかき分け、急な崖をよじ登り、色即是空、色即是空と口走りながら、息絶え絶えに這うように山頂に達しました。結願の大窪寺は、眼下にありました。


 本当のおもてなしに支えられて、歩いた幸せな記憶です。

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