退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

17才の孫息子のこと

 お正月,久しぶりに可愛いい孫息子が泊りがけできてくれました。ぼくも連れ合いも、そわそわして大歓迎でした。


 ぼくたち夫婦には長女と次女の二人の娘がいて、それぞれ一人ずつ子ども(孫)がいます。長女には女、次女には男です。三家族がそろっても、わずか八人ですから、政府が嘆いているふりをしている核家族、少子化の典型です


 なぜ、ふりしているか、と言いますと、もう何十年もまえから、人口動態はわかっているのに、効果的は対策をとらないからです。フランスはじめ主要な先進国では児童手当は盛りだくさん、医療費や教育費は大学まで無償です。日本では、コロナ禍でバイトもできず、高すぎる大学の学費を払えない中退者が続出という記事が、今日も出ています。誰が好んで子どもを生むものですか。


 それはさておき、次女が不幸にも最悪性がんとされる膵臓がんで亡くなりまして、三年になります。孫息子は、そのとき中2,14才でした。次女は死を覚悟したとき書いたらしく、14才、15才、16才の誕生日に開封して読むようにと息子へ手紙を残してくれていました。


 多感な反抗期であるにもかかわらず、親の特別な庇護を期待している厄介な年ごろ、二律背反した精神状態のときだけに、その後の暮らしぶりが大変気がかりでした。次女の手紙の内容は知りませんが、おそらく愛情いっぱいに生きる大切さを説いてくれているに違いない。


 父子家庭(婿方のおばあちゃんは別居していました)なので、いまも心配が絶えません。コロナ禍のなか、月に二回は孫の好きな食材や、季節の衣類などを宅配便で送っています。なにより、サラリーマンの婿も、よくやってくれて、ありがたいことです。


 孫息子は学校で結成したバンドでキーボードをしています。コロナ禍のため休みがちながら、苦手な科目のため学習塾、さらに囲碁教室、ピアノ教室通いと放課後のスケジュールが詰まっているのが、ある意味、幸いしました。孫はおとなしく、やさしい青年の育っています。


 一段と背が高くなりした。連れ合いは肩の高さにも及ばなくなったと喜んでいます。次女が居たら、気の利いたセリフを言って、楽しそうに笑ったにちがいないのにね。


 口数がすくないので、なにか質問しないと、話にのってくれません。
「ヒゲが伸びるようになった。電気カミソリ買ってあげようか」
「たまにお父さんのを使っているから、いいよ」
「夕飯づくりはどう?」
「うん、だいぶ慣れた。レパートリーが増えた」
「大学はどの方面へ進むの?」
「まだ決めていないけど、文科系で行くことには決めている」


 爺バカ丸出しで恐縮ですが、この孫は頭のいい子で、難関の中高一貫校の5年生(高2相当)。今学期で高校のカリキュラムが終了して、6年生になると,進路一本の学習になるといいます。囲碁はアマ6段で県代表で全国大会にも参戦しています。


 ぼくは、孫の年齢のころ、勉強もスポーツもやらず、本を読んだり、映画ばかりみていたので、映画監督とか、脚本家になれたらいいなあ、とぼんやり夢みたり、船乗りになって世界の港々を回るのも面白いと考えたりしていました。公務員や銀行員など堅い勤め人は、何にが面白くてやっているのか。不遜にも、そう思ってました。


 孫息子は、どういう方面に進みたいのか。ニッポンは、名ばかり先進国となり、衰退の一途です。アジアでもGDP一人当たりでは、シンガポール、香港に抜かれ、もうすぐの韓国と台湾に追い抜かれます。韓国にはすでに平均年収や時給額まで抜かれ,まだ下位の中国なしに経済は立ち行かなくなっています。官製株高を維持するだけで、何も生み出さなかったアベ・スガ9年間で、日本はすっかり活力を失ました。


 孫息子は多難な「成長しない社会」を乗り切る力を持っていると信じたい、まあ、それはそれとして、爺さんとしては、早く一緒にビールを飲めるようになりたいものです。成人まで、あと三年。なんとか、がんばらなくっちゃ!

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