がん患者の父

娘が膵臓がんになった。まさかまさか、痛恨の極みです。

生存期間中央値

抗がん剤投与が4回おわり、3週間のお休みのあと、治療効果を見るための検査が月末に行われます。娘はとうぜんひどく結果を案じていますが、家族もどのような結果が出るのか、心配でなりません。


少しでも症状が小さくなったり、弱まっていたり、そんな兆候があればうれしいが、逆の場合は心底、厳しい状況においこまれます。


術後3か月、たった4回の投与くらいで結果を求めるのは、早すぎるんではないかと素人は考えますが、医師の判断であれば、そうした時期に経過を観察するのは常道であるのかもしれないとも思ったり。案じても、どうなるものでもないことを、案じるのも、これまた仕方ないことか。


それにしても、マンションに住む娘のところには見舞客がいっぱい来てくださっているようです。一人息子の幼稚園のころからの、いわゆるママ友はじめ、本人の子ども時代からの友人が連日やってきています。


学生時代と勤めていたころの友人が多く、東京や京都、滋賀、あるいはアメリカで先生をしている友人までも見舞いにきてくれたと、友人たちと写った集合写真をメールしてきた。


娘はだれにでも好かれる明るい性格なのだが、こんなにもたくさんの人たちが案じてくださっていることに感謝する、ほんとうにありがたいことであります。


しかし、娘は自身の病状をどう伝ええているのか。また友人たちは、どうして娘の病気のことを知り得たのか。気になります。長女の姉に聞いてみると、友人のだれかに窮状を漏らしたら、それが口づてに広がったんじゃないかと言っていますが、そうかな。


娘は不妊気味で治療を受けたりして比較的遅くに一人息子に恵まれましたが、お見舞いにやってくる友人たちのお子さんはすでに大学生、なかには社会人になっているものもいます。


娘は学級参観なんかでは、いつも年長の母親だと笑っていたのだが、その晩産がいまは尾を引いています。中一の一人息子に悪性の病気であることを伝えることができないままです。息子がどう受け取るか、どんなに悲しみ、つらい思いをさせるか。その心配が先だって、どうしても話せないようです。


その一方では息子が買い替えを望んでいた古い電子ピアノをヤマハの高級なものに買い替えてやったり、キッズ用の携帯をスマホに買い替えてやったりしています。


私は性分なのか、どうも事態が悪い状態のことを取り越し苦労するタチなので、娘は心のなかで大勢の友人たちにお別れを告げているのではないか、一人息子に精いっぱいの気持ちを伝えているんじゃないかと、ひそかに想像したりして、心中穏やかな気分になれません。


縁起でもない疑心なんですが、切除施術を中断してしまった主治医の判断では余命7か月、セカンドオピニオンを求めた医師は一年以内と、いわゆる「余命」を告げられたことが頭から離れないでいます。


医師がいう余命とは、7か月とあれば、90%の患者がその期間内に亡くなるという意味のようだ。また「生存期間中央値」という物差しもあって、仮りに同じ症状の病者が100人いて、その人たちが次々に亡くなったいき、ちょうど50人番目まで生きた人の期間を、一応、一般的にその症状による余命とみなしているようです。


ですから、50人番目よりもずっと早く亡くなる人もいますし、逆にずっと長く生きて90人番目とか100人番目になりうる人もいることになりますが、その長く生存した人たちが50人番目と、どのくらい時間的な間隔があるのかを取り上げた資料は目にしていません。


7か月説に従うと、、、と思うと、こんなつらい想定はありません。ほんとうに助けて、
助けて、と叫びたい。