お盆のお墓参り
暑いうえ、遠いので、しばらく敬遠していたお墓参りに行きました。
新仏があるのか、数人の家族が喪服姿で参っています。皆、うつむいて静かです。別の場所ではTシャツの子供たちが、草取りをし、バケツで水を運んでいた、楽しそうです。まるでキャンプです。やはり家族ぐるみのお盆の習慣は根強いようです。入口の小屋の壁に「カラス公害がひどいので、お供物はすべてお帰りの際、お持ち帰りください」とあります。
さて、といいいますか、亡父の三度目の後添いが、昨年暮れに亡くなり、父や兄の眠る墓に埋葬されました。お墓の右横にある「霊標」が書き換えられました。亡父の戒名、俗名、享年の次の行に、俗名のままの後添えの名が刻まれています。一度目と二度目は、離婚しています。思えば、幼少のみぎり(笑い)から、いろいろ複雑厄介な感情に思い悩まされた父親の行跡の後始末です。
「霊標」の空き場所からして、ぼくと連れ合いが、名を刻むといっぱいになります。しかし、それで十分です。男子の子供がいませんので、同姓の遺族はいません。わが夫婦のほかに弔う者はいません。この墓地の場合、管理する組合からの管理料の督促が、二度、三度滞れば、おそらく、そのまま無縁墓となりましょう。地に名を刻むような事績は何に一つありません。消えゆくのみです。
以前も書きましたが、家父長制度の遺物で、「〇〇家代々の墓」スタイルが一般的だったころの墓では、嫁いで別姓になった娘は入れないのです。いま喫緊の政治課題とされる「選択的夫婦別姓制度」が実施され、結婚した娘たちのいずれか、姓を引き継いでいてくれたら、「代々の墓」でも入れることになります。
もっとも、入れるかどうか、を思案をする前に、「代々の墓」形式を止めればいいのです。この形式が封建的なんです。江戸時代の封建大名でも、代々の墓ではなく、個人ごとの墓を設けています。一般庶民の墓がなぜ「代々の墓」形式になったか。それは別途考えるべき問題です。父親を大黒柱に家父長制の継承を込めたのか、墓地占有を合理的範囲にとどめるようにしたのか。
余談ながら、支持率低迷のまま、党内からも、心ある国民からも見放されて退陣表明をしたキシダメ。彼は「選択的夫婦別姓制度」について、「夫婦同姓は昔からの伝統で、夫婦が別姓だと、家族の絆が壊れる」とバカな感想を述べて、制度化をためらっていました。
この件は、以前に書きましたが、同姓制度は明治の中期から戸籍づくり、徴兵制度のために始まったもので、そんなに伝統的なものでない、夫婦同姓制度を実施している国は、世界では唯一日本だけの習慣(法務省調べ)。キシダメの感想によれば、世界中の家族は絆が壊れていることになります。まあ、なんですが、アへ,スカタン、キシダメら、この国の自称保守の連中のアタマは、国際標準から10周くらい周回遅れとしかいいようがない。
昨今の墓地を歩くと、「愛」とか「ありがとうございました」とか「ゆっくりお眠りください」とか、「代々の墓」形式でないお墓が徐々に増えています。お墓のかたちも、四角長方形の墓石ではなくて、丸い球体だったり、ドーム型とか、平石を埋め込んだままというのもあります。これなら、だれでも入れます。自由で開放的なお考えの方が少なくないようです。
墓地を管理するお寺さんも、昔ながらのやり方にこだわりがないようです。そのうち、カラー墓石、QRコードを埋めた墓石が現れるかもしれません。スマホをかざすと、生前の姿があらわれ、声が聞こえてくる仕掛け、、、、恨み言なんかを言い出すと、ちょっと怖いかも。ホラー墓石だな。まあ、亡者に敬意を表す方法にも、時代の流れがあっていいでしょう。
ぼくは「代々の墓」には感心しませんが、そのやり方が、亡父の意思であったこと考え、墓碑銘を変えるつもりはありません。第一、余計な費用がかかります(笑)。
死後の世界について、「お星さまになる」とか「天国」とか「極楽浄土」とかなんとか、そんなファンタジーをぜんぜん想像しない、ぶこつ者なんです。死ねば、おしまい。人生あらゆることは、「現役」が一番で、二番はないのです。
墓参の帰途、暑くなったアタマを占めるのは、早く、冷たいサッポロビールを飲みたいなあ、でした。合掌
好きな漢詩です。
勧酒 (于武陵)
勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
井伏鱒二 超訳
(FACEBOOKから引用しいました)
気を付けよう、汚染水と自公維国!!
さあ、裏金議員、統一教会関連議員、世襲議員を落選させましょう。