退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

「お国のために、、」!?

 八月は、鎮魂の月ですね。   


     

                                   百日紅 サルスベリ

 アジア・太平洋戦争で310万人が死亡。傷病者、数知れず。敗戦で焦土となった歴史の記憶を顧みて、再び、愚かな戦争をしないと誓う月です。


 マスコミは、今月に限って戦争回顧の報道に熱心です。さすが、もう一遍やって、今度は勝とう、などとほざく報道はありませんから、なにも言わないよりマシです。それでも自衛隊機に乗ってはしゃぐ女子アナのような番組をつくり、自衛隊ヨイショを流しているバカなTV局もあります。わざわざ敗戦記念の月に、軍事力の横暴で国を滅ぼしたという反省がないパフォーマンスをやるセンスが嘆かわしい。


 鎮魂の月であるなら、日本の他国への侵略、加害責任、中国と戦争しながら、その一方で、なんでアリとゾウの違いのような国力差がある米英に戦争を仕掛けたのか、その責任はだれにあるのか、二正面作戦で勝つと思った軍部指導者は、作家、司馬遼太郎が言うように「集団的政治発狂者たち」(「大正生まれの『古老』」(新潮文庫『歴史と視点』に収録)だったのか。そうだろうな。今も当時も、冷静に考えれば、ありえない愚挙ですね。


 それにしても、ひどい負け戦の軍人と、その遺族には兵隊の位に応じて恩給や年金(2022年までで累計60兆円。2022年度の予算668億円)があるのに、空襲で家を焼かれ、家族を失ったり、亡くなった一般市民は、国から補償も謝罪もないのは、なぜ?、など戦争を考えるさまざまな問題を追及してほしいものです。


 ちなみに太平洋戦争を開戦した東条英機首相兼陸軍大将兼参謀本部長は、敗戦後、A級戦犯となり、絞首刑になりました。1952年(昭和27年)ごろ、この東条の遺族宅を訪問した昭和史研究者は、未亡人と娘さんとの会話から、軍人恩給が年400万円と知ります。


 この記事を読んで、調べたら、当時の平均的年収は約170万円。東条の恩給は、その2.5倍じゃないですか。国を滅ぼした軍事独裁の男に、政府が、かくも厚遇するというのは、どうも腑に落ちない。東条の子女はなお存命だから、いまなら1千万円を超す恩給を受けているのだろうか。


 さて、戦争に絡んで思うことは、「国家と個人、どちらが大切ですか」。こんな質問があるとしたら、自公政権の連中やその支持者は、「もちろん国家が大事に決まってら」とこたえるに違いありません。彼らは悲惨な戦争からも、戦後できた「新憲法」の精神からも、なにも学んでいないからでしょう。「国家がなかったら、国民はどうなるのか、バカな質問をするな」。そんな声が聞こえてきそう。


 戦前の「大日本帝国憲法」では、国家が大事。天皇の大権のもと臣民は、命を投げ出しても国体(天皇護持体制)を死守しなければなりませんでした。その行き着くところ、「お国のために死ね」。「天皇陛下に命を捧げよ」、、、個人の生命なんか一銭五厘のはがき代、軍馬よりも軽視された。今に至る災害のたびに多大の犠牲者が出る人命軽視は、為政者の伝統かもしれませんです。


 人命軽視でいえば、美化されがちな特攻隊や人間魚雷。片道だけの燃料を積んで、200キロになる重量の爆弾を抱えて、敵艦に体当たり攻撃です。人間魚雷も脱出装置もない筒形のチューブに乗り込み、これまた体当たり攻撃。「十死零生」です。緒戦こそ想像外の不意打ちに米軍に損害が出ましたが、すぐに米軍は最先端のレーダーやソナーを開発して反攻、特攻隊機、魚雷は待ち構えられて次々に撃沈されました。大和魂なる精神力なんか、科学と物量のまえに一蹴されたのです。個人的には精神力とか根性とかは、大嫌いですね。もっと合理的に支援できる手を軽視して、頑張れ、頑張れ、には往生するタチです。


 特攻機約4500,人間魚雷約1500、合計6000人(数字には諸説あります)の若い命は亡くなりました。最年少は、わずか17才4か月。体当たり成績は、多めに見積もって一割程度とみられています。このような生還の可能性ゼロという非人道的体当たり戦術を起案、導入、実行に移した将官たちは「あとから俺も行く」と送りだして、自分たちは生き残り、戦後、自民党の参議院議員になったものもいます。素知らぬ顔でした。国家の誤った判断に臣民は押しつぶされました。


 戦後の憲法は、言うまでもないことですが、基本的人権の尊重国民主権(民主主義)、平和主義の三つの基本原理が盛り込まれています。平和主義は、どこの国も主張しますが、日本の場合、9条で戦争放棄、軍隊を持たない,不戦を強調した世界に類のない平和主義です。いまや自公政権に空文化されていますが、、。


 その成立の過程に諸説ありますが、制定いらい78年間、公には誰れ一人戦死者を出すことなく、国民生活に定着しています。したがって「平和憲法」と言われています。国民主権(主権在民)は、国家の主は国民ひとりひとりにあり、戦前のように天皇に大権はなく、天皇は象徴とされています。


 この憲法の特徴は、「国家あっての個人」ではなく「個人あっての国家」と個人の方が大切という理念が盛り込まれていることです。いまの国際社会では、ロシア、中国、北朝鮮は「全体主義」国家と呼ばれ、日本はじめ欧米諸国は「個人主義」の国柄です。全体と個人は反対です。


 個人を重視する今の憲法には、人が生まれながらに持つ永久の権利として基本的人権の尊重があります。憲法第3章11条から40条まで、こと細かく、人権保護の条文は並んでおり、「人権カタログ」と言われてます。憲法は、国家・為政者の権力行使や乱用を監視、制限するものであり、国民を監視、支配するものでありません(立憲主義)。


 国家が国民に義務づけるのは、教育を受け、働いて、税金を納めることの三つにすぎません。戦前にあった徴兵制は義務づけられていません。徴兵制は18条の苦役に相当するから、改憲しなければムリです。政権が、これを強行しようとするなら、過大の金銭的利益と名誉をちらつかせて「志願」を募ることになるでしょう。兵隊確保の点からも政府にとって貧乏人が多い方が好都合なのです(経済徴兵制)。貧富の格差を必要とする裏の真意です。


 一方、基本的人権は、国民が国家に尊重を要求する自由と権利です。第3章の主な条文を見てみましょう。面倒ですが、読んでみてください。どんだけっ!!国民の自由と権利を強調しているか、自公政権は、この憲法の精神を実行していないか、考える材料になると思います。


第11条 基本的人権の享有
第12条 自由・権利の保持の責任、濫用の禁止
第13条 個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉
第14条 身分制度の禁止、法の下の平等、栄典
第16条 請願権
第18条 奴隷的拘束及び苦役からの自由
第19条 思想・良心の自由
第20条 信教の自由
第21条 集会の自由、結社の自由、表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密保障
第22条 職業選択の自由、居住移転の自由、外国移住及び国籍離脱の自由
第23条 学問の自由
第24条 家族生活における個人の尊重と両性の平等
第25条 生存権、国の社会的使命
第26条 教育を受ける権利、子に普通教育を施す義務
第27条 勤労の権利及び義務、勤労条件の基準、児童酷使の禁止
第28条 勤労者の団結権
第29条 財産権
第30条 納税の義務
第35条 住居の不可侵
第36条 拷問及び残虐刑の禁止


 国がイヤならば、国籍離脱の自由まで保障しています。受け入れ国があれば可能です。このように個人の自由と権利が保障されています。「個人よりも国家」を大事とする自公政権が、憲法を変えたくて仕方がないのは、個人の自由と権利がこんなに尊重される憲法が目障りでしょうがないのです。


 連中は、国家の指導命令で国民が一斉に「右向け右っ!」と言いなりになる体制になれば、国家運営が円滑になると考えているのです。その理想のかたちは、戦中戦前の「国民精神動員法」のように、アタマの中から日常の暮らし向きまで、すべて統制したいのです。そうして天皇を中心とした復古国家の再興を図りたいのです。「全体主義」は、為政者が国論を一つに統一して、一切の異論、意見を認めず、為政者が思う方向へ国民を統率したいとします。


 戦前、戦中は、あらゆる団体、業界が、国に統制されて、たとえば「映画や文化、出版報国」、「節約報国」、{逓信報国」(電信、郵便など)、何でも「お国のために、、」と従うをことを強制されました。先に述べた特攻隊や人間魚雷は、その究極の「滅私報国」のかたちです。


 とんでもない話です。長くなりますので、結論を急ぎます。自公政権が志向するような「全体主義」の国家は、戦前の日本の軍国主義はじめ、ドイツ・ヒトラーのナチズム、イタリア・ムッソリーニのファシズムのように暴走国家となり崩壊しました。戦後もソ連はスターリニズムが破綻しました。自公政権の意図は、なんと仮想敵国とみる中国や北朝鮮のような全体主義国家を目指すという矛盾を犯しているのです。


 そうでなければ、9条の平和主義を破棄しよう、その代わりに、ナチスがやった全権委任法と同様の「緊急事態事項」を新たに明記しようという改憲方針なんかが浮上するはずがないのです。ある状況を緊急事態だと政府が任意に認定すれば、国会活動は停止、司法は政権の意のままに判断、あらゆる法律は独断で決定、すべての基本的人権は無視され、国民の一挙手一投足まで規制することが可能です。”魔法の杖”を手にしたいのです。


 自公政権は、アへが専行した集団的自衛権の行使によって、いつでもアメリカの要請にこたえて発動できる体制を国内で完備したいのです。国民の反対の声を封じ込めて軍事大国になることが、戦前の日本の軍国主義であったように、再び日本を軍事一等国にしたい野望があるのです。間違った国策であることは言うまでもありません。国家と国民、軍事と政治の関係は、こうありたい。


 主は国民
 従は国家


 主は外交
 従は国防


 憲法が保障する自由と権利を最大限に活用し、豊かで幸せな社会に暮らしたいものです。
いくら軍事力を強化しても、国民が豊かに、幸せになることはないのです。先の大戦から得た尊い教訓です。この国が目指すのは、平和の最先端を行く先進国でありたいものです。
アメリカの尻馬に乗って、再び戦死者が出ないように、憲法を守る政党、政治家を選びましょう。


                    (写真はいずれもGoogle画像検索から引用)


憲法第九十九条
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。


 アへら改憲主義者は、率先して憲法の尊重義務を違反しています。
 


 自民党には、仲間内では、公然と基本的人権を邪魔扱いし、戦争を賛美する連中が占めています。作家、司馬遼太郎さんが戦前を「集団的政治発狂者たち」と評したことが、いまな引き継がれているのです。国民の切実な反戦感情を踏みにじる連中です。戦争をしたがる政党と政治家をなくそう。軍国主義の大義名分を信じ込まされて、大陸やジャングルに散り果てた兵隊たちの遺骨はまだ百万体も放置されたまま、政府は知らんぷりです。


 



 若手だと言う進次郎さえ、憲法改正を大声で叫ぶ自民党内の空気は、腐っています。



 



 気をつけよう、汚染水と自公維国!!
 総選挙では裏金、統一教会、世襲議員を落選させましょう。

×

非ログインユーザーとして返信する