がん患者の父

娘が膵臓がんになった。まさかまさか、痛恨の極みです。

気がかりな変化

定年まもなく膵臓がんになった男性の闘病記を読みました。ステージ4b、余命一年と診断されて、抗がん剤治療に入ります。むろん大きなショック、挫折感、うつ気分にもなりますが、家族に励まされ、病気と闘います。


「余命一年」の告知について、医師は短めに言うのが常。長生きすれば、治療の効果と言えるし、より短かければ、診断がマトを得ていたことの証左となり、どっちにころんでも医師の体面が保たれる。男性は、そんな趣旨のことを書いています。


たしかに、そういう一面はあるだろうな。患者の症状の進行度や部位は千差万別だから、一律な判断がむずかしい。おおむね、こうだろうという、ある意味、曖昧なモノ言いしかできないのかもしれない。


男性は抗がん剤治療の傍ら、漢方薬を飲み、温熱療法も試します。一方で海外旅行に出かけるなど積極的に、やり残したことをやり、つとめて明るく振る舞い、約11ヵ月後にホスピスで旅立ってしまいます。


わが娘は「余命7ヵ月から一年」と告知されています。先日、9回目の抗がん剤治療をうけましたが、その事前検査のGTの画像がやや大きくなり、腫瘍マーカーの数値も基準値の倍以上になりました。抗がん剤治療を始めていらい、最初の悪化への変調です。


医師は、十二指腸に膵液のたまりがみられると、変調の理由を話し、しばらく様子を見ようと言ったそうです。


これまでは微妙とはいえ。すこしずつ治療効果が上がっていましたが、ここにきて、効果が止ったのです。右肩上がりの緩やかなグラフの線が下方へ向かった感じです。まことにイヤな感じです。


ひょっとしたら、抗がん剤に体が慣れてくる耐性が出てきたのかもしれません。もし、そうだとすれば。いま受けている薬剤での効果は望めません。別の種類の抗がん剤に変えるか、治療はもうできないという事態になるのか。


治療の前日、家内と姉が見舞った。豆ごはんとアサリの味噌汁をもって行き、昼をいっしょに食べた。美味しいと言って、豆ごはんをお代わりした。そのあとリニューアルした空港ショッピングセンターを娘の運転を見物にいき、そこでも大きなパンケーキとコーヒーをおいしそうに口にしていた。


帰ってきた家内は、歩くのは早い、よく食べ、よくしゃべるし、病気なんかウソみたいに見えると話す。本当なら喜んでいいことなのに半信半疑にならざるをえない。


あの元気の良さはどこからくるのか。本物の元気なのか、なにか内から駆り立てられるような衝動があるのか。その翌日の結果が、こうなんだから、いっそう当惑します。家族としては、気持ちは揺れるばかりです。もどかしいばかりです。