えん罪について
38年まえの福井の女子中学生殺人事件で容疑者とされ、服役していた前川彰司さんの再審が伝えられました。このことは、少なくとも過去の有罪判決に何らかの疑義があるからでしょう。
強殺・放火事件の容疑者で死刑囚、袴田巌さんは、裁判所を行ったり来たり、ついに58年ぶりの完全無実と証明されて、釈放されたばかり。文字どおり、死刑の首かせから解放された袴田さんの心境たるや、想像もつかない喜悦と怒りと遺恨がないまぜになっているちがいありません。
なぜ、冤罪は絶えないか。法と証拠を重ねて、極めて合理的と判断される取り調べのはずなのに、そのプロセスで、気がつかぬまま誤解したり、捜査不十分だったり、恣意的に捏造されたりすることがあります。さらに裁判のプロセスで、そのような証拠や瑕疵(かし=キズ、欠点)を見つけることなく、判断ミスしてしまいがちです。
日本では検察で起訴されると、99.9%まで裁判で有罪になります。事実上、検事が権限を握っていることになりますから、捜査段階が適正であったかどうか、重大な責任があります。なんといっても初期捜査を担当する警察の捜査が大切です。
ここで誤った判断や功を焦るばかりに容疑者を陥れる工作などを行うと、しばしばムリな自供を迫る、卑劣な誘導をするなどで、あとの司法プロセスに間違いが生ずる可能性が強まります。これまでにもは袴田さんのほかに免田事件(殺人)、財田川事件(強殺)、島田事件(誘拐殺人)と容疑者が再審を重ねた結果、死刑囚から無実を勝ち取っています。どの事件も奇しくも34年ぶリに決着です。人生を台無しにされたわけです。
罪のない人を、人間のやることだから、万に一つのミスの犯すこともありますでは、済まない問題です。こんな過ちは、たまったものでない。1992年、福岡の幼女誘拐殺人事件での容疑者、久間三千年死刑囚は、ずっと無実を主張していましたが、判決後、わずか4年で執行されました。
久間死刑囚の妻は、いま再審を申し立ています。このようなケースでは、仮に無実になると、一体、命を奪われた久間死刑囚は、どうなるのか。国家が殺人を犯した場合、国家はいかなる贖罪をするのか。通常の懲役や禁錮判決事件もあり得ることでしょうが、死刑だけ執行してしてしまえば、取り返しがつかない。
国家の名で死刑を認めているのは、日本や中国、アメリカの一部の州など54カ国ありますが、廃止している国のほうが断然多く、109カ国です。廃止している国は、こう考えています。
死刑制度があっても犯罪をやめておこうという抑止力にならない。
生命を奪うよりも時間をかけて更生の道を探らせたほうが人道的。
逆に死刑は残虐で非人道的である、
裁判には誤判のリスクが常に伴い、無実の人を処刑する余地がある
という見解です
国家による殺人は、死刑制度のほか、一般国民に他者の殺人を奨励、大量殺害が称賛される戦争に伴う徴兵制があります。この国は、二度と徴兵制が発動されるような国家になってはならないよう国家指導者を監視しましょう。文化の日に思うことです。
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「思い出のグリーングラス」。トム・ジョーンズのヒット曲。伸びやかなノスタルジックな歌声でうっとり,しっとり。しかし、E・プレスリーの対訳つきの甘い声を聞いていると、エッ、そうだったのかと意外な最終節に驚きます。お時間があれば、お聞きください。
気をつけよう、汚染水と自公維国!!