退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

よもやま話

 老いにまつわる世間話です。


 ぼくが住んでいる住宅地では、高齢者世帯が4割以上らしい。近所つきあいというのは、ほとんどない。ぼく自身も、ご近所の人だとわかる顔は、二、三人しかいない。さすがに両隣りと真向かいの家の名前は知っています。出会えば、会釈くらいするものの、話したことはありません。


 なので、近所の人の動静は、連れ合いから聴くくらいです。その連れ合いの”情報源”は、ご近所の、70代の奥さんからに限られています。近年、ご主人を亡くされていますが、すぐにもとの活発な奥さんに戻られているらしく、出会うと、"捕まった"という感じ、止まらないおしゃべりを聞かされるそうだ。


 その独り身になった,おしゃべり奥さん自身の話。独り飯の用意するのが面倒なので、夕飯はㇲーパーのお惣菜屋の弁当を買ってくる事が多くなったという。日替わりで、安くて、そのうえ思いのほか美味しいいといいます。なので手間暇かけて晩ごはんを作る気がしなくなった。


 まあ、その気持はよくわかります。ご飯つくりというのは、食べてくれる人がいてこその作業ということがよくわかります。日々、献立を考え作るのは、並み大抵でない知恵と手間がいります。ぼくなら、とうに投げ出すだろうな。独り身になって、永年のご飯つくりから解放されたのは、幸いかもしれないが、ひょっとしたら物足りないと思っているかも。


 別の家庭の話。母親と娘さん.の二人住まいで、老老介護という感じ。8060よりも9070かもしれない。母親はもうよちよち歩き。娘さんが支えて散歩している姿を見かけたことがあります。その家のまえに定時に生協の車が止まるようになった。


 先の奥さんの話では、弁当の配達を受け始めたといいます。若くない娘さんも、買い物がおっくうに、ご飯作りが重荷になったのかもしれません。連れ合いは、宅配弁当というのは、うちも将来、考えてもいいわね、といいます。ぼくは、煮えきらない返事をしていますものの、容赦なく、それを選ぶ日が来るかもしれない。


 7,8軒先の家の前に不動産販売会社の名前で「売り家」の小さな看板が出ました。先の奥さんの話では,70代のご夫婦が、自宅の管理が面倒なので他市のマンションに引っ越ししていったそうです。自宅とマンション、どっちが老後にとって住みよいか、一概に決められません。それぞれに価値観や、大げさにいえば、終の棲家をどうするか、その終末観にもよるでしょう。


 うちの場合、連れ合いが小さな庭で花や野菜を育てるのを楽しみしていています。土いじりが好きなのです。この間もスーパーの縁石につまずいて、大倒れしたこと事なんか忘れて、将来、老人ホームに゙お世話になることなんか、考えもしないといい切ります。そう気張っていても、あっと言う間に事情が変わるのが高齢者の心身です。誰も年寄りになりたくないものですが、避けられません。


 ここまで書いて、アッと気が付きました。先のおしゃべり奥さんは。よそでは、こんなことを触れ回っているかもしれない。「あそこのご主人はお酒飲むばかりの引きこもり爺さんで、奥さんもこまってはるらしいよ」。


 住まいのこと、食べること、身体のこと、老いてくると、止む得ない事情が起きてきます。「まあ、いっか、きょう一日は」くらいつぶやいて、ベッドに潜れるのは、いつまでのことか。


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    「エデンの東」。高校生の頃、この映画を見て大々感動。以来、いまも一番のお気に入り俳優は、ジェームス・ディーンです。「理由なき反抗」。「ジャイアンツ」。たった3本で大スターに駆け上がったのに自動車事故で夭折しました。青春時代の満たされない複雑微妙な心情を代表する新星でした。ディーンは永遠です。小森のおばちゃんもそう言ってましたね(古イ話やな)ビクター・ヤング作曲のテーマ曲も切々と美しく素晴らしい。




    気をつけよう。汚染水と自公維国!!


    

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