がん患者の父

娘が膵臓がんになった。まさかまさか、痛恨の極みです。

手術の日 (下)

手術室へ消えると、付き添ってきた家族は、茫然とたたずむしかない。まるで俗界と聖界との結界に阻まれた感じ。みんな朝はやくから緊張してきたので、とりあえず院内のレストランでお茶でもと歩きだす。


レストランはまだ開店していなかった。隣のコンビニで暖かい缶コーヒーを各自で取り出し、廊下に並ぶ椅子に腰かけ一服していたら、なんとコンビニから白衣の主治医が、お茶のペットボトルを持って出てきた。


私たちは一斉に立ち上がって、「よろしくお願い申し上げます」と最敬礼。患者サイドは、いわゆる「わらにでもすがる想い」になっています。主治医を見送ったあと、6階病棟の控室へ移った。


テレビや湯わかし台が備え付けられている、わりと広い部屋。歩ける患者が来て、テレビを観たり、昼飯を食べたりすることもできるようだ。私たち四人はらばらに座って、会話もない。心配の限りを口にしてきたので、いまここでしゃべることは尽きている。


九時開始で10時間かかるとすれば、午後7時ごろまで待つわけだ。持参してきた司馬遼太郎の文庫本を開くが、いまいち気持ちが乗ってこない。つけっぱなしのテレビをちらちら眺めるが、朝からくだらないことで芸人がはしゃいでいる。まったくくだらぬ番組、つまらん芸人たち。テレビはろくでもないメディアだ。


昼、レストランでカレーライスを食べる。家内たちはうどんを選んで食べている。人はこんなに悲しいときでも、お腹がすく。人はどんなに怒ったり、悔しい気分になっていても、ノドは乾く。生きていることは、複雑なものだ。


午後はiPODにイヤホンをつなぎ、S&Gを聴く。私がなんども入院したときも、ベッドでこれを聴いたものだ。お気に入りの歌手なのだ。サイモンとガーファンクルの来日公演が、当時の大阪球場であったとき、スタンドの高いところで観覧したことがある。


私も若かった。手術室の娘は高校生だったか。バドミントンに明け暮れたのはいいが、部活の場にシャワーがないものだから、自分の汗でよくかぶれた。アレルギーの一種だろう。肌が赤くただれたこともあり、かゆいかゆいとかきむしっていた。家内が止めていたが、練習はやめない娘だった。


頓服や塗り薬のほかに温泉水がいいとか。海水がいいとかきくたびに車にポリタンクを積んで遠出したものだ。手のかかることといえば、そのことくらいしか思い出せない娘。


突然、婿が立ち上がった。つられてみんな立ち上がった。部屋の入口の主治医があらわれて、婿を手招きしているのだ。婿は一瞬、私を見、とまどった表情で主治医とともに出て行った。


おもわず壁の時計をみました。まだ午後2時まえではないか。えっ、早すぎる。予定では10時間ではなかったのか。なに、この事態は???。疑念が噴き出る感じ。早いのは、いいことなのか、芳しくないことか。二つに一つしかない。


開腹してみたら、予想外に進行していて手術を中断することも、よくあると聞いている。反対に予想に反して、症状が軽かったということもあるかもしれないが、、、それなら不幸中の幸い、嬉しい誤算といっていい。家内も長女も困惑したまま突っ立っている。


長く待ったような気がするが、婿が戻ってきた。ひきつった表情、顔色が白くなっている。とっさに、悪い知らせとわかった。婿を取り囲むように立ったまま、耳をそばだてて話を聴く。


「主治医の説明だと、手術を途中でやめた。切除しきれない転移がある。十二指腸とか、リンパ節とかに。膵臓からバイパスを起こしてつないだ」


衝撃的な内容です。なんということか。
「じゃや、こんごどうするの」と私。
「放射線治療よりも抗がん剤治療になると言ってました」


まったくの悲報でした。膝から力が抜けるような失意に囚われる。みんなもあまりにも予期せぬ事態の急展開に茫然、何をどうすればいいのか、できることはないのか、とまどうばかり。


「集中治療室に移れば、ちょっとだけ面会ができます」と看護師が伝えてくれる。麻酔はもう切れているのか。娘は早く終わった手術時間の意味を知っているのか。


集中治療室の娘は、脈や血圧などの測定器やチューブにつながれている。ベッドサイドに立つ夫(娘婿)をみると、手を握り、なにか弱々しい低い声で何か言っている。ベッドの足元側に立つ私たちにはっきり聞こえない。麻酔がまだ残っていて、もうろう状態なのかもしれない。泣いている。


泣き声まじりで聞こえたのは、「Hががんばっているのに、がんばっているのに、、」という言葉だった。この期におよんでも、一人息子のことが頭から離れないのだ。つらく、悲しい。姉も家内も泣いている。


うながされて私も娘の顔を見る。「よくがんばったね。大丈夫、大丈夫」と励ます。家内も姉も充血した目で、それぞれにやさしく声をかけた。娘は疲れ切っている。長居は無用だ。早くゆっくり眠らせてあげてと声をかけて、集中治療室を出る。


ほんとうに足取り重く帰途についた。娘が自宅にいなければ、婿と一人息子だけの暮らしだ。Hには、どう伝えるのか。自宅の炊事や家事のこと、長引きそうな入院にたいして、介助のこと、Hの夕食や週二回ある弁当持参のことはどうするか。サラリーマンの婿は、どこまで仕事を離れて動けるのか。考えなければならないことは、いっぱいあった。


それにもまして、いちばん気にかかることは、手術中断というような病変というのは、いったい、いつまで生きられるということなのか、余命はどうなんだ。みんな気にしていいるが、口に出した尋ねるのはためらわれる。婿は主治医から聞いたのではないか。バイパスをつないだということは、どういう意味なのか。婿は主治医から聞いたのではないか。ためらったけれど、婿もありありありと動転している。今日は尋ねられない。