がん患者の父

娘が膵臓がんになった。まさかまさか、痛恨の極みです。

抗がん剤について

娘の抗がん剤投与が、セカンドラインでは、はじめて2週連続できました。脱毛はきついようですが、ほかの下痢や口内炎、発疹のような副作用は意外にも軽いと話しています。


とはいうものの、見舞いに行った家内と姉の印象では、痩せ方が目だつという。食べることになんの苦痛もないらしいが、せっかくしっかり食べても身につかないのです。


食べても食べても、身につかず、しだいに痩せていく。摂った栄養素はほとんど底なしのがん細胞に食べられてゆくのではないか。ほんと、恐ろしい状況です。


娘の病状が気になりますので、がん患者の闘病記や医師による治療体験などの著作といったものを片端から読んでいます。いまのところの感想としますと、進行がんの末期では、抗がん剤治療に決め手なし、という残念きわまる結論を得ています。


三大治療法のなかでも手術は「摘る」、放射線では「灼く」ことで、直接、具体的に患部と向かいますが、抗がん剤の投与は、闇夜に鉄砲を撃つようなもので、当たるのも外れるのも、まだ確実に制御できない状態のようです。数を打てば、一つくらいは当たる、、、というような塩梅かなと思えます。


不幸にして、がんに取りつかれるのには、
発がん物質の摂取説
ウイルス原因説
遺伝子変異説
など諸説あります。


単独の要因だけではなく、それらの組み合わせだったりとも考えられてきましたが、最有力の説は正常細胞が分裂する際に何らかの損傷をうけた異常細胞が生じるとする遺伝子変異説らしい。


人の体内で日々、天文学的な数字の細胞分裂が行われています。ちょうど工場で大量規格製品が流れ作業で行われるのと同じです。その生産過程で、たまに規格外の製品が生じますが、これば、いわば、がん細胞だと譬えられています。


しかしながら、なぜそんなコピーミスが起きるのか、その変異細胞をやっつけるのには、どうすればいいのか。多くの先達の医療者が闘ってきたけれど、根本的なことは、いかんせん、まだはっきりと掴んでいない。


掌握していないから、根本的な薬剤もない。あれこれ試行錯誤を繰り返して、がんで亡くなったのか、強い副作用のため亡くなったのか。それさえ曖昧な部分があります。抑えても抑えても、がんは手ごわく、したたかかで、不死鳥のようによみがえってくるものらしい。


末期がんに対する抗がん剤治療は、寛解をめざすような効能はなく、いかに延命効果を長引かせることができるか。そこに重点が置かれているようです。


限られた残り時間を、できるだけ心身の穏やかな安定を保ちつつ、つまり、生活の質(QOL)を落とすことなく、やむに已まれず見えてきた人生の峠を、できるだけ「悔いなく」全うすることにあるようです。CAREとCUREが一体化した緩和ケアというのが、現状です。


患者はもちろん、その家族にすれば、数千距離離れた標的にピンポイントで直撃するミサイルがあり、宇宙ロケットが月面着陸してから半世紀もたっている先端科学の時代にあって、なお克服できない疾病に取りつかれた不運を嘆くしかないのか。暗然とします。


人類は何が大事か、その優先順序を踏み間違えています。