がん患者の父

娘が膵臓がんになった。まさかまさか、痛恨の極みです。

息子へ告げる

次女である娘には、やや遅くに生まれた一人息子がいます。いまは中学二年生。この息子に、いつ、どのようなかたちで、母親の病名を告げるか。それが、みんなの悩み、大きな胸のつかえでした。


祖父母の私たちからみても、申し分のない孫です。健やかに背筋が伸びた身体と、やさしい心をもった少年に育っています。難関の中高一貫校へ進学してがんばっているし、趣味の囲碁は全国大会へ常連出場する腕前です。つい孫自慢したくなる、いい少年です。


むろん、娘にとっては、この息子が生きる励み。ほぼ一年まえ、手術後にがんを告知されたとき、孫だけは登校していて不在でした。それいらい病名を告げる機会を逃してきました。いや、正確には、避けてきてました。


こちらには洩らしませんが、娘は長女の姉と二人だけでお茶したりすると、「あの子が、せめて大学に入るまでは生きたい。それ以上までは、欲張りませんから、生きたい」と話すらしい。切羽詰まった悲痛な叫びのようで、胸が痛みます。


発病いらい、娘は離職して、いつも在宅だし、週一、二回は病院通いしているし、見慣れぬ健康食品やサプリメントはキッチンにいっぱいあるし、父(婿殿)はしょっちゅう職場を離れて病院に付き添っていたり。


とうぜん回りの雰囲気が大きく変わっていることに孫は気がついている様子だが、娘も健気にふるまっているので、息子が特別に不審がって尋ねることはなかったようです。


今年の初夏、Tシャツを着る季節になったとき、娘の鎖骨に埋め込んでいる点滴用のVポートに気づいて、尋ねたことがあったといいます。栄養を補給しているとの説明で、その場は納得したようです。


世間一般で、がんの告知が当たり前のように患者と家族に告げられるようになったのは、せいぜい2,30年まえからのこと。それまでは「がん不治の病」「がん即、死」など恐怖の病気と見られたり、誤まった禁忌観念から人に言えない病気扱いとされ、病名や死因を隠すようなことが行われていました。


がん告知が、ビジネスライクになされるようになったのは、それなりの必要性があってのことで理解できるけれど、がんを患った親が、まだ幼い子どもに、どのように告げていいものか、そういうやり方に、お手本はないようです。考えるだけでも、切なく、難しい課題です。


ところが、つい先ほど届いた娘のメールは、その難問をうまく越えられたことを伝えてきた。


「昨夜、病名と経過を伝えたら、わかった。しっかり治して、がんばってと言ってくれた。心配していた動揺もない様子。勇気をもらった」


わー、うまく乗り越えてようで、うれしい。まさに胸のつかえが降りたことでした。ちょうど訪れてきた長女の姉にも伝えると、姉の方にはもっと詳しい事情を連絡してきていた。姉妹の連携は、親によりも緻密なものだ。


姉の話によると、最近ときどき背中が痛み出す、腹水の溜まってきている。連続して白血球が減少して点滴ができなかった。病状の悪化に気持ちがまいってしまい、将来の不安と恐怖感で夜更けにしくしく泣いていたのを息子に見られたそうだ。


翌日、学校から帰宅するや、「お母さんの病気って何のか、いつになったら治るのか」などと尋ねてきたそうです。この際とばかり、娘はいまの病状を詳しく話して、心配かけていることを詫びたそうです。


孫は、パソコンやタブレットを持っていますから、すぐにでも病気について新たな情報を手に入れるかもしれませんが、もやもやした家庭内の空気が、ひとまずすっきりするでしょう。


告白されて動揺しなかった孫もえらい。勉強や部活の合間にも心の片隅にあったにちがいない母親の不調の理由がわかって、落ち着いたかもしれない。娘も難儀だった息子への「がん告知」というストレスから解き放たれ、心が軽くなったにちがいない。


がんは、患者と家族の生活を根本から揺るがします。