がん患者の父

娘が膵臓がんになった。まさかまさか、痛恨の極みです。

みんなでランチ

次女の娘が無事に術後一年を超えられたので、このほど、お祝いの食事会をしました。長女の家族を交えて三家族でも全員で八人しかいません。典型的な核家族の集まりです。


次女の一人息子が毎日、大量の宿題をかかえ、塾通いもある都合を考えて、ホテルのランチバイキングです。みんなそろって、紅茶やジュース、ノンアルコールの乾杯です。


これが快気祝いであれば、どんなにか嬉しく、気持ちが晴れることかと思いながら、それでも、あれこれ皿をもちよっては、たくさんたべて、楽しくおしゃべりしました。


娘も幸い食欲はあります。食べなきゃ体力がつかないと食べています。ステーキのお代わりをもらいに立っていきます。「うちでは、おいしいお肉たべれないからね」と笑っています。


それとなく、こちらは観察するような目で眺めてしまうのです。気が咎めますが、娘の外見上のコンディションは気がかりです。痩せ方は止まっているようです。まあ、下方横ばいという感じ。


顔色は特に顎のまわりが黒ずみ、頬にもいくつかのシミのような斑点が出ています。長髪のウイッグをつけていますから、それでだいぶ隠せています。本人は足にむくみが現れてきたので、利尿剤を処方されていると話しています。


全体の印象としては、かわいそうだが、やはり顔色のすぐれない中年の女性に見えてしまいます。もとは、よく動き回る活発な性分でした。


それでも、「どういうわけか、頭髪が少し生えてきた」と家内や長女と話しています。女性なら当然の喜びです。ちょっとした希望の灯かとうれしくなりましたが、一方では、ちょっと待てよ。新しい組み合わせの抗がん剤が効いていないのではないかと疑ってしまいます。


厄介な抗がん剤は、健康な細胞もやっつけてしまうから、副作用が著しいのです。薬効があると病状の好転につながりますが、同時に副作用がでるわけです。


その出方に個人差があるとはいえ、脱毛に回復の兆しがでるのは、どう解釈すればいいのかな。薬効があるけれど、脱毛のような副作用は減少する。そういうケースもありなのか。


娘にとっては朗報なので素直に喜んでいます。じつは前日 婿殿の運転で遠くのがん封じの寺へお参りしたといいます。私は無信心なので、お参りの効用については懐疑的です。
自分自身なら多分やらないと思いますが、とにもかくにも、神様仏様にすがりたくなる心情にはおおいに共感できます。


治療で治癒の方向に向かうことを信じること、そのために患者が精神的にも安定していることは必須の条件でしょう。仏様だのみで、癒されるのなら、それで結構。幸い、弱気になることがあっても、ふさぎ込んだり、鬱になったりしない娘は、気丈です。


食後、地上140メートルの屋上にある「空中庭園」なるものを見るため、少し離れたビルまで歩きましたが、娘は誰に劣らず、達者に歩いていました。途中、なんども一人息子とのツーショットを撮ろうとして、嫌がる息子に逃げられていました。いつまでも続いてほしい母子の戯れです。


いまはよく眠れる、背中の痛みも、止っているといいますから、われわれ家族が施術当初、突き落とされたように感じた「タイムリミット」からの危機感は、ちょっとでも遠のいたのかもしれません。いや、そう思いたいものです。平穏が続くことを願うばかりです。