がん患者の父

娘が膵臓がんになった。まさかまさか、痛恨の極みです。

急な変調

楽しかった温泉旅行のあと二日後に予定された抗がん剤投与が、できませんでした。白血球の減少が目立ったことが、その理由です。


あの元気に歩き、ぱくぱく食べていた姿のどこに、そんな骨髄抑制がひそかに進んでいるのか。がん細胞の恐ろしさに震えます。残念でなりませんが、それ以上のショックを受けたのは、腫瘍マーカーが著しく悪化していたことです。


膵臓がんのマーカー、CA19-9の基準値は、37(単位省略)です。しかしながら、今回の測定では2200にまで高騰していました。驚くような数値!?


じつに基準値の59倍。しかも、この数値は、激しい腹痛で緊急入院を余儀なくされたときの数値に近いのです。


あれこれ、できることは、みんなやって、病状の克服をめざして、娘は、昨秋、冬、春、夏半ばと季節をのりこえて必死でがんばってきましたが、なんと数値的には振り出しに戻ってしまった。


なんということでしょうか。無念というか、絶望感があります。悪辣な魔物に対して敗北感さえ感じます。気持ちがなかなか収まりません。


マーカーの数値に一喜一憂しても仕方がないと言えば、そうなのですが、患者と家族にすれば、こうしたことにしか安否をはかる目安を持ちあわせません。


がんの病状は、進行中であっても、それほど痛みや苦しみをーーー抗がん剤による副作用を別にすればーーー感じません。目立たず、ひそかに、ゆっくりと、じわじわと身体を蝕んでいく、きわめてタチの悪い病気だとつくづく思わされます。


がんは一般の病気、つまり骨折とか外傷とか、あるいは心筋梗塞とか脳出血とかのように”見える病気”ではない。それだけに患者と家族の苦しみもまた常に懐疑的であり、複雑な気分が避けられない。


ただ、がんばれとか、励ましても、もう患者は十分に頑張っていますので、これ以上、なにをどう、頑張れというのか、という気持ちの反発、負担を与えてしまいます。


患者は当然ですが、その家族にとっても、病状の推移や変調に対して、どういう気持ちをもてばいいのか、どう心がければいいのか、大切な課題だと思います。











温泉旅行

暑い盛り。健康な者でもつらいこの夏。無事に乗り越えてくれることを祈って、長女、次女の家族たちと近場の温泉に一泊しました。


こちらのひそかな心配とは、別に、娘は元気でした。せっかくの温泉ですが、痩せた体をさらしたくないのか、当日は部屋のシャワーを浴びていました。あまり客はいないと見込んで翌朝早く,長女とともにゆっくり楽しんきました。


朝夕のバイキングでも、和洋中のいろいろな料理を皿に盛ってきては、美味しそうに食べていました。デザートの果物やハーゲンダッツのアイスクリームもしっかり食べ、コーヒーも飲んでいました。


さすがにアルコールは口にしませんが、食べる量だけみれば、食欲が劣っている気配はぜんぜん見かけられません。体をアルカリ性にした方が、がんが住みにくい体つくりになるという教えを厳格に守っているふうにも見えません。


夜、バイキングのあとで、ボウリングをしましたが、2ラウンドしても疲れをみせず、いい成績で一番になりました。あの重いボールを思い切り腕を振って投げているのを見ていたら、とても末期の病者とは思えません。


もっと驚いたは、渓谷ぞいの起伏の緩い木陰の山道を往復二時間ほど、散策できたことです。家内と長女の一人娘は、途中でホテルへ引き返したのに。


24時間以上、いっしょに過ごしてみて、娘は健常者と変わりない食欲や運動能力があり、また病気にとらわれて意気消沈しているというようなところは、少しもないと確信できました。気力、体力に著しい衰えはないのです。


先日の抗がん剤点滴の際、医師から白血球の減少が続いているので、来週は無理かもしれないといわれたそうだ。そうした診断がでた後にもかかわらず、この体調のよさ!!
どのように理解していいいのか、家族としては戸惑うばかりです。


このところ、娘よりはずっと年長だが、フレンチ料理の巨匠や沖縄県知事が相次いで、膵臓がんで亡くなっています。ついがん死者の死因部位の方に目が行きます。翁長さんは先月末まで議会に出ていたのです。


この容体の急変というのが、患者にしろ、家族にしろもっとも恐ろしい事態ですが、ひとまず娘には、そのような災厄は降りかからないのではないか、家族ならではの欲目も込めていますが,そう思えるような温泉旅でした。



元気に泊りがけで

抗がん剤の投与ができた翌日、娘はひとりで電車を乗り継いでやってきました。病気になってから、電車でくるのは初めて。一時間半はかかります。


何度も車で迎えに行くと、言いましたが、行ける、行けると言い張り、やってきました。
午後の電車は、どれもすいていて、そのうえエアコンも効いているんで、しんどくなかったと元気なものです。


投与の翌日なのに、これといった副作用もない様子でした。久しぶりに会った娘は、やはり痩せこけていて、顔つきもややきつい感じ。首筋や腕もふっくらさが消えています。


50代の前半にしては、やつれているようにもみえました。親としては、ただただ不憫なので、そういうことに触れる会話は厳禁と緊張します。


それでも一人息子のあれこれや、心配してくれている大勢の友人のことなどを早口でしゃべりまくり、おやつも夕飯もみんなと同じようにたいらげて、ソファでくつろいで、スマフォをチェックしています。


そのかぎりでは、重い病気に苦しんでいる様子はみられません。こうした穏やかなで苦しみのない日々が、長く続くことを祈らずにはおれません。


いろんながん情報に接しますと、膵臓がんはいまも難治がんの筆頭クラス。早期発見さえすれば、胃がん、大腸がん、乳がんなどの治療効果は目覚ましく進展していますが、胆肝膵といった部位のがんは、なかなか顕著な実績が現れないようです。


ある本によると、製薬企業では、新薬の開発はNxTが優先課題だとあります。Nは人。Tは治療期間。つまり患者が多く、治療期間が長期にわたる疾病ほど、開発にかけた投資の回収とともに儲かる、という理屈。


なにごと資本の論理と連動している現代とはいえ、苦しみつらい思いをしている少数派にとっては、身もふたもない話で、りつ然とします。


国民の疾病の克服というような課題こそ、国家目標の最重要課題だと思いますが、アベのバカ面なんか見ていますと、とてもじゃないが、望むべくもない。


一泊した娘は、機嫌よく、車で送るという提案を受け入れず、電車にのって帰りました。
心配した姉が途中の駅までまで送って行きました。