がん患者の父

娘が膵臓がんになった。まさかまさか、痛恨の極みです。

味覚障害

娘は抗がん剤の治療がはじまってから、いろいろな副作用に悩まされてきました。手足のしびれ感、かゆみ、白血球の減少、脱毛、下痢、食欲不振、体重減少、、、。


あらまし副作用は出そろったものの、それなりに薬効があって、いまの元気が保たれていると考えていましたが、こんどは、食欲不振というよりも、何を口にしても、おいしくない、味を感じない、したがって、食べる気がしないという味覚障害が表れてきたといいます。


これは大変です。がん患者ならずとも「食べることは生きること」と同意です。体力の回復にも大きな障害です。だいいち病気療養中にあっては美味しく食べられることが何よりの楽しみなのです。


まして術前よりも数キロ体重が減ったまま、目だった回復がないのを気にして、しっかり食べてきたのに、味覚さえも奪われるとは、困った事態です。こういう副作用の現れ方ひとつとっても、がんという病魔はほんとうに度し難い、強烈なインパクトを与えられます。


がん情報センターのアドバイスをしらべても、いまいち有効な手立てはないようです。味を濃くしてみたり、飲み込みやすいゼリー状のものや乳児食で栄養の確保をとの説明がありました。


なんとか副作用に馴化しながら、一日でも早く副作用が立ち去ってほしいものです。





温熱療法のこと

娘の体調は、桜爛漫の春のように、調子がいいようだ。あちこち買い物に出かけたり、元の勤め先の保育所へいき、面倒みていた幼児たちの成長を見届けて来たり。


たぶん、抗がん剤との相性がよく、その効果が現れているのだろう。うれしいことです。そうなると、もっと良くなりたいという欲がでるのもムリはない。婿殿と車で温熱療法を実施している病院をみつけ、診察を仰ぎに行ってきたという。


温熱療法というのは、がん細胞は熱に弱い性質があることに着目した療法。特殊なラジオ波(電磁波)を患部に照射し、一時的に患部だけを41度前後の高温状態にして、がん細胞の消滅や縮小を促すものらしい。


患部の表裏を挟む形で、一時間ほど照射するだけで、ほとんど副作用もないし、痛みもなく、それなりの効果があるとのこと。数年前から一定の効果が求められるとして、保険が適用されています。その限りでは、れっきとした治療法なんです。


つまり、素人目には、けっこうな治療法ではないかと思うのですが、どうもがん治療の世界ではまだ広く認知されていないらしい。がん治療には手術、放射線、抗がん剤(化学療法)の三大療法が主流とされて、他の温熱療法や免疫療法というのは、異端といえないまでも、傍流扱いらしい。


そういえば、アメリカで日本人研究者が開発した画期的な光免疫療法という方法についても、もう何年もたっているのに、まだ日本で治験さえ始まっていない。今年早々のニュースでは楽天が企業化に乗りだすということだったが、、、。


思うに、純粋に学問上の観点だけではない事情がありそう。治療方法の学閥やら主導権争い、それに製薬業界の利権など複雑にからんでいるのだろうと推察できます。万事、この世は、一筋縄ではいかない。


娘は温熱療法を行う医師に「治療中の病院には断っていませんが、どのようなものか教えてもらいにきた」というと、「治療中の病院とは関係なく、治療は行える」と返事したものの、あれこれの話のなかで「まだ国立がんセンターあたりからの理解はなかなか得られない」と苦笑いしたという。


そんな話を聴いたので、次回の抗がん剤投与の際、主治医に尋ねみて、了承を得た方がよいとアドバイスしていた。その結果、主治医は「抗がん剤が効いているので、そっちの方やることはない」と即決、一蹴されたそうだ。


温熱療法そのものついては、たしかにwikiなどによると、いまのところ主流の療法を補充するようなかたちで利用されているらしい。娘の場合に当てはめれば、抗がん剤投与+温熱療法という併用があってもいいように思うけれど、いまのところ主治医の断定に従うしかあるまいか。


なぜ併用さえみとめないのかな。併用を認めると、なにか思わぬ支障でもあるのか。釈然としない。



池畔の散歩、花見、


春休みなので、次女の娘が婿と一人息子と3人が車でやってきた。中一の孫息子が、パスタを食べたいとのことで、長女とその娘、そして私ら夫婦とあわせて7人でパスタ専門店へ行きました。


がんと闘う娘もよく食べた。種類が多く、ちいさなパンは食べ放題とあって、炭水化物ばかりお腹いっぱい食べた。元気よく、好きなものを食べられるのは幸せなことです。


食後、店の近くに大きな池があり、桜がもう咲いているかもしれないと連れだって散歩に行きました。暖かい日差しが気持ちいい。池を渡ってくる風もやさしい。そんな好天気のせいか、なんと池畔の桜並木は満開でした。


お花見に来たおおぜいの人々と池の堤防を歩きます。娘は息子や姪といっしょに話しながらしっかり前を歩いています。ちょっと離れて、その後ろ姿をみながら婿殿と話します。婿殿も最近の娘の体調がいいことを、喜びつつ、多少意外な気持ちをこめて話します。


「重い病気を患っているといわなければ、わからないほど見かけはフツーと変わらない」
「やはり、抗がん剤は効いていると思いたい」
「三つある腫瘍マーカーは、最初をのぞけば、いずれも基準値をキープしている」


最初の手術医が宣告した余命説によれば、その時期は5月中旬になる。もういくばくもない。婿殿に話を向けてみます。


「あの予測がほんとうなら、いまの元気は、どういうことなんかなあ」
「病状の推移は、ほかの病気とちがって突然急変するかたちで現れるともいうし、、、」


なんだか、あいまい漠然とした話しかできない。結局、がんについて、素人が正確で納得できる材料がないのです。同じ部位のがんでも、発症場所の微妙な違いや進行度の深さや速さについても個別に違う。それに対する治療法は大まかにはあっても、それこそサジ加減は個別に違うわけだから、一律の答えを持つのはむずかしい。


来月早々の8回目の化学治療のとき、CTなどの画像検査があるという。がんが小さくなっていることを祈ります。


娘は姉と交代に写真を撮りあってはしゃいでいます。孫娘の姪は今春大学を卒業、来週から就職先の研修がはじまるそうだ。孫息子もよくできる同級生にもまれながら春から二年生になる。みんで集合写真も撮った。


私たち夫婦には娘が二人、その娘たちには子供が一人ずつ。二人の婿殿を加えても、三代あわせて八人という小さな家族です。みんなそろって来春も桜の下を歩くことができるかどうか、できますように。