退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

夏目雅子さん

      ふいに夏目雅子さんの笑顔が降りてきました。亡くなられて間もなく40年になりますが、偉大な女優さんは、時空を超えて、爺さんの空っぽのアタマの中でポッと灯をつけてくれました。


     

       (写真はGOOGLE画像検索から引用。以下同じ


 この間、情けないことに、食あたりして、ベッドの中でうんうんうなっていましたら、作家、伊集院静が亡くなったと聞いた。そのとたん、あの夏目雅子さんの笑顔が浮かんだ。いうまでもなく、伊集院静の二番目の妻でした。ポスターや映画の場面をちらちら思い浮かべていると、腹の痛みをつかの間、忘れられます。夏目雅子パワーは、素晴らしい。


 夏目雅子さんは、日本の映画女優のなかでは、トップクラスの美人実力女優です。ぼくの偏見ではありません。たとえば、2000年に権威ある映画雑誌『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・女優編」(著名人選出の部)で7位でした。美しい女性というだけでなく、演技力のずばぬけていました。


 ちなみに上位6人は、トップの原節子に続いて吉永小百合 京マチ子 高峰秀子 田中絹代、山田五十鈴。まさにベテランぞろいです。(読者選出の部)では、杉村春子、岸恵子、岩下志麻らに抜かれて10位です。若手では彼女一人が気を吐いています。


 夏目雅子さんは、匂い立つような純白の肌、長いのびのびした手足、オードリー・ヘップバーンを凌ぐ整った目鼻立ち、お茶目な可愛いい笑顔をみせたり、グレース・ケリーのような凛とした気品のある美貌の持ち主でした。おそらく、すっぴんで通るベスト女優だったでしょう。女優業ですから、この際のルッキズム(見た目至上主義)は許容範囲かな。     


      

      


 さて、彼女が最初、耳目を集めたのは、カネボウ化粧品のCMで登場したときです。健康色いっぱいのポスターが奪われる騒ぎでした。ほぼ同時期に始まったTVドラマ『西遊記』が大人気。三蔵法師に扮した夏目雅子が、お供に堺正章の孫悟空、西田敏行の猪八戒と後年の大スターを連れて冒険譚。うちの娘たちも、欠かさず見ていました。
   

     


 初の主演映画だった『鬼龍院花子の生涯』でスターダムに一気に上りつめました。取り囲んだやさぐれ男たちを情念こもった形相で、「なめたらあかんぜよ」とタンカを切る鬼気迫る場面が評判になり、この年の流行語大賞となりました。いまでも、「なめたらあかんゼよ」と言えば、夏目雅子が浮びます。


 デビューしたあと『時代屋の女房』、『瀬戸内少年野球団』と映画数本に出て、多くのフアンの心をわし掴みしたまま。27才で逝ってしまいました。血液のがん,白血病でした。水泳の池江璃花子選手は,治りましたが、当時は、まだ不治の病だったのです。美人薄命を地で行く不運にフアンは泣かされました。

       


 同期入社の同僚(故人)も彼女のフアンで、母親の小達スエさんの協力で、上の本を上梓(実業之日本社刊)しています。それによると、伊集院静とは、CM企画に絡んで知り合ったらしい。まだ短大生のころか。七歳上の伊集院静は当時、二児の父だが、夏目雅子が芸能界入り前後から不倫関係が続いており、伊集院が離婚後に結婚している。その間、複数回の中絶をしています。


 母親ら家族は、伊集院との結婚には不本意な様子だったらしい。掌中の珠を奪われたような気がしたとしてもわからないではないが、夏目雅子の方も、そうとう熱が高かったらしい。男女の仲のかたちは、男女の数だけあるといいますから、この『大人の流儀』にくちばし入れる気はありません、でも、夏目雅子フアンとしては、なんだか、この点だけは、伝説の女優になった今でも、釈然としない話です。


     


  それにしても、頓服と抗生剤と、夏目雅子のおかげで、長い体調不良から解放されました。夏目雅子は、偉大です。   (あっ、連れ合いには、もちろん!! 感謝です)

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