がん患者の父

娘が膵臓がんになった。まさかまさか、痛恨の極みです。

大腸ステント

娘の閉塞した大腸を通すために大腸ステント留置が行われました。麻酔をして肛門から網目状の円筒を閉塞部に留め置くものでした。夜9時半ごろに頭もすっきりしたのでとメールしてきました。「やっと開通したようで、うれしい」と。


つらいことが多い闘病生活なので、治療の一つ一つに期待や落胆を感じています。こうしたなかで、期待通りの結果がでると、嬉しいものです。久しぶりに家内ともども喜ぶ朗報でした。


翌朝には、鼻から挿入していてイレウス菅を抜いてもらった。緊急入院してから、ちょうど2週間ぶりのこと。煩わしい管が抜けました。これで腸閉塞の心配からは解放されました。また、あわせて腹水を抜き始め、およそ1リットルの量が抜けたそうです。


私自身がかつて患った腸閉塞では、7日間くらいでイレウス菅を抜き、重湯、三分粥、七分粥、全粥と胃腸を慣らしながら普通食に戻りましたが、娘の場合は、栄養点滴もチューブから解放される見込みはぜんぜん立っていません。


なんでもナースのいるところで、小さじいっぱいの白湯を飲んだだけで、ノドも胃も沁みるように痛かったと言います。普通食に戻れるのはいつの日か。なにしろ、いちばん娘が気にしている腹部の膨満状態はすこしも改善されていません。


そういえば、私の腸閉塞の場合、開通後、ナースがベッドサイドの来るたびに「おならが出たか、出たか」と催促されるように尋ねられたことを思いだした。ガスが出れば全通だという。メールで娘に尋ねてみたら、「まだ、ないよ」とのことだった。


1リットルと言えば、相当な量ですが、そのほどの抜水でも見掛け上の膨満状態は一向に小さくなりません。見舞ってきた家内は、腸の開通を喜んだのがウソのように暗い表情で、「全体としては、衰えが進んでいるようで、、、」と後が続かない。


もう8週間も抗がん剤投与をやっていません。やらないのは、副作用に耐えるだけの体力がない。腹水を抜かないのは抜くと、蛋白など栄養分も流失してしまう、ということだった。いつからという境目がないまま娘は、緩和ケアのレベルに入っているようだ。

ひとまず小康状態

体調が悪化して入院した娘は、年末年始を持ちこたえました。腹部の激痛もなくなり、飲まず食わずながら、昼夜、栄養補給の点滴を受けて休んでいたのがよかったらしく、見舞ってきた家内と姉は、ほっとしたと帰ってきました。


「顔色も多少よくなり、表情もおだやかになっている」と家内は言います。だいたい、
げっそり痩せて、立っているのもつらいのに、台所で息子の晩御飯を作ったり、洗濯したりして頑張ったため、疲労困憊していたのだと今回の事情を思いやっています。


自宅にいるよりも、入院して面倒見てもらう方がよっぽど、こちらの気持ちも安心だとも
こぼします。遠く離れていて、連日、面倒を見に通うわけにも行きませんが、入院している方が安心だという家内の言いようには、複雑な気持ちがいりまじっています。


週に一、二度は姉と家内が食材を運び、部屋の掃除なんかを世話していますが、姉にも家族があり、家内はもう82の老いの身。正直なところ、こちらも大変です。


大晦日から2日までは婿殿の母親が泊まり込みにきて、一人息子の食事などの面倒を見てくれました。婿殿の方の母は足が悪く、一級の障害者なので、これまでもこれからも、残念ながら、あまり頼りになりません。


難治性の病者を抱えると、家族だけの支援には限界があります。一生懸命、世話するのは当然ながら、一生懸命になればなるほど、みんなが共倒れ状態になりそうです。


「家族で支え合って」などと在宅での世話の必要性を強調し、「家族の絆」をことさらに称揚する自民党は、核家族で高齢化という時代にそぐわず、ただ社会保障費の削減目的でしかない主張です。


娘の腸閉塞については、イレウス管の挿入でだいぶ軽くなりましたが、根本的な開通にいたってない。イレウス菅では固形物の排除がむずかしいので、近々、様子をみて、大腸ステントを留置するようです。


ステントは円筒状の金属製網で、腸内の閉塞部に挿入して、閉塞部を押し広げるものらしい。体のあちこちに治療機具が装填されます。痛ましい限りです。


一人息子は、新年の囲碁大会へ行きました。それで、あの10才でプロ棋士になった菫ちゃんの話題をメールにしたら、娘から「スミレちゃんは幼稚園児のころから頭角を現していて、息子は太刀打ちできなかった」とすぐに返事がきた。こんな話をいつまでも娘とかわしたいものです。


再び緊急入院

仕事納めの日の早朝、娘の婿殿から電話が入った。とっさに、あっ、娘(次女)の容体に異変があったのではないかと危惧しましたが、残念なことに、それは的中しました。


午前2時ごろから腹部の激痛のため、お世話になっている病院へ婿殿の運転する車で緊急入院、腹水が大量に溜まっていることと腸閉塞の疑いもあり、CT検査したうえ、腹水を少し抜いてもらった。そして、このまま入院し年越しすることにきまったとのこと。


実は、数日前から腹部の膨満感が強かった。背後部に痛みが出ていた。娘本人も心配して医師に相談したのだが、腹水を抜くと栄養分まで失うので、両方をうまく運ぶためには、一週間ほどの入院が必要と言われ、ためらっていた。


その時期に入院すると言うことは、正月を一人病床で暮らすことになるので、自身もつらいが、ひとり息子にも寂しい思いをさせると案じて先送りしていたらしい。とにかく、自分の容体のことよりも息子を気づかう。その母性が裏目に出てしまった。


急きょ、見舞にいった姉と家内が、院内の廊下でばったり主治医と出会った。姉(長女)が医師とこんな会話をしたという。


「これから、どうなりますか」
「手術したときおりましたか」
「はい」
「あれからもう一年すぎましたねえ」


その言い方に、あのとき余命7か月くらいと話しましたでしょうという含みが感じられた姉は、
「はい、おかげさまで長く頑張れています」と言うと、
「そうなんですが、いよいよ、ですね」


文字にすると、禅問答とまでは言わないが、要領をえない会話になりますけれど、医師の表情と合わせて、姉も家内も娘が最終段階に入ったことと直感したそうだ。私も、そう思わざるを得ない。


娘が入院した日、介護認定のまえの暫定プランの一つということで、市包括支援センターからリクライニング付きのベッドが自宅の届いた。ベッドの上下も簡単に操作できる便利な大手メーカーのベッドです。だが、肝心の主は入院してしまった。果たして帰宅して、このベッドに横たわることができるのだろうか。


翌日、私も見舞いに行きましたが、娘はさらにげっそりと痩せ果てていました。目だけが強く光っていますが、顔色に血の気もなく、手足も細く骨ばっていました、鼻からはチューブで胃腸につなぐイレウス菅が挿入され、右手首に点滴チューブ。痛々しくて悲しくて、とうてい正視できるものでない。


想わず,肩を抱いて大きくㇵグしましたら、娘は声を上げて、泣いた。言葉にならない声を長く引きずりながら泣いた。気丈な娘が、こんなに大きな嗚咽をもらすのは初めてのことだが、気持ちを慰める言葉もない。


家内はお見舞いがつらすぎて、娘の顔を思い出すと、夜眠れないと悲しんでいたが、ほんとうにそうだ。がんという病気は、まったくタチの悪い、とんでもない極悪性の病だと思います。


娘の肩を撫でても、ごつごつと骨格にじかに当たるかんじに痩せていることがわかります。異様にポッコリ膨らんだお腹をさすってやり、ついで、両手をもんであげたが、まるで老女のようにざらざらに痩せていました。娘の涙はなかなか乾きませんでした。


帰りしな、一人息子に贈るお年玉を持ってきたよ、というと、さすがにうれしそうな顔を見せた。「よいお年を!」の声を呑んで 婿殿に会釈して帰りました。