共同親権 私感

(googole画像検索から引用)
ぼくの両親は、ぼくが、ものごころつかないころに離婚しました。
協議離婚届を出すずっと以前に、別居していたらしく、いつの間にか母親は消えていた。したがって、母の面影の記憶はない。離婚した母は、末の妹を引き取っていました。だいたい、末の妹がいたことさえ、後になって知りました。
父親側には、ぼくと兄と上の妹の3人が残ったのです。つまり、兄妹のうち、ぼくらは父親が親権を持ち、末の妹は母が担ったわけでしょう。当然のことながら、兄妹が、そういう分散せざるを得ない事情にについても、ぜんぜん知らないことです。
両親が、なぜ離婚することに至ったのか、そんな理由について、結局、死ぬまで父は一度も話すことはありませんでした。でも少年のころ、就学に必要な戸籍謄本をみて、ぼくが小学二年のころに「協議離婚」していることを知りました。
そして、母が引き取っていった末の妹が生まれたと同じ年に、再婚した継母が女の子を産んでいることも知りました。むろん、離婚届より前の話です。同じ年に別々の女に女児を産ませていたわけです。さすがに、これは異常事態であることを知りました。
父は、継母になる女を「協議離婚」のあとに入籍しているのです。これだけの状況証拠がわかったので、離婚の理由を自分なりに見当がついていましたから、ぼくも一切、離婚の事情を父に聞いたことがありません。離婚する非は、父親にあると確信していました。
ただ、父は継母をぼくたちが住んでいる家には入れず、ちょっと遠いところの別宅に住まわせていました。ですから、ぼくは一緒に住むことなく、継母になじむことも、なじんだふりをすることもありませんでした。父はそちらに住み、たまに夕方、姿を見せて、また「帰っていった」のです。
残された兄とぼくの食事などは、不機嫌な継母の妹と称する女が世話してくれました。家族は瓦解していたのです。ぼくは家族団らんとか、家族で一緒に旅行するとか、そんな経験はありませんし、学校での父兄会(当時は保護者会を、そう呼んでいた)や学級参観、運動会に父ないし継母が現れたことさえありませんでした。
上の妹だけは継母側に引き取られて、腹違いの妹と育てられました。こんな経緯から、われら兄妹は、親権上は実父、実母、継母側と三家族に分散しています。その後も継母に男児が生まれました。腹違いの弟です。そして、父は再離婚、、、、まったく複雑怪奇な家庭になるのですが、それは省略します。
実母にあったのは、ぼくが大学生の時でした。安保騒動で学生のデモがさかんな折り、法政大で開かれた集会に出るため上京しました。その機会にある人の伝言で、お茶の水駅で待ち合わせました。向こうから話しかけてきて、母の顔を初めて見たのです。近くの喫茶店で長々と母の話を聞き、その間、ぼくは缶ごと持ち歩いていたたばこのピースをずっと吸っていました。
夜になって、神田のすし屋で食事しましたとき、母親の再婚相手の亭主が現れて、初対面しました。その男と母の間に二人の男児がいることも知りました。ぼくの周辺は父違い、腹違いの弟妹がたくさんいるのです。
17日、改正民法が成立し、離婚後の子どもの「親権」について、一方の親だけでなく、
別れたあとも両親が「共同親権」を持てる法律が成立、2年後から施行されるとあります。
ぼくの個人的体験からいえば、双方がじっくり話し合える「フランス映画のような小粋な別れ」の仕方は、いまのところ、日本人にはこなせないのではないかと思います。
離婚の理由いろいろです。性(格)の不一致、DV,不倫、依存症、経済的無能力、人格破綻、子育て、家計のやりくり、わきが、げっぷ、おなら、、、「冷蔵庫にビールを欠かさずに置いておく。私は自動販売機じゃないです」と離婚した女性もいます。
月に一度面会できる、あるいは夏休みには三週間、別れた親の方と過ごすとか、そういう欧米で実行されているような「共同親権」は、日本人には、おそらくなじめない。いったい、「顔を見るのも、声を聴くのもイヤだ」という関係になって、そのつど、話し合うなんてことが可能か。そのような合理的な考えが共にあり、実践できるのなら、日本人なら離婚しないだろうと思います。
理由はどうあれ、たいていの場合、憎悪や嫌悪感のぶっつけあい、わめきあい、怒鳴り声、号泣、沈黙、黙殺、修羅場の果てに感情的になって離婚を決意するケースが多いでしょう。さらに長期間の養育費をまともに支払わない父あるいは母が多いと聞きます。無いものは払えない、が通る現況です。
「共同親権」にある根底の発想は、離婚はやむ得ないが、その際、子どもがいるなら、
子どもは両親の子であるから、両親は子どもの成長に合わせて、子どもの幸せを最優先に大切にすることにあります。これは、当たり前のようで、存外難しい問題です。
それに伴う 離婚後の望ましい父母の在り方、子どもの「利益第一」という具体的な保障ついては、日本人が馴染むのは、これからの長い教育や文化の変化を待つしかない気がします。
利益第一という問題はある程度、金銭的なことに還元できるかもしれませんが、子どもにとっては、いい迷惑でした。子は親を選べませんからね。今ふうに言えば「親ガチャ」です。バカな親、無分別な親を冷めた目で見ているのはつらいことです。成人になるまでの間、底なしの寂寥感や、いたたまれない孤独感が癒されるものではありません。
離婚はしない方がいいに決まっていますが、なんで離婚しないのか、というような泥沼状態の夫婦も世の中にはいます。統計では、だいたい年に20数万組の離婚があります。したがって、多くの子どもが、親権争いに振り回されていることでしょう。暗澹たる気持ちです。
とりあえず、今わかることは、共同親権をめぐって弁護士のビジネスチャンスが多くなり、家庭裁判所が忙しくなることでしょうが、こういうややこしい人間感情について、たしかな洞察力をもって対処できる人が、ほんとうにいるのかな、という陳腐な感想しかない。
気を付けよう、汚染水と自公維国!!
総選挙には投票に行きましょう。
裏金議員を退治しよう。

(facebookから引用しました)