退屈な80代

           還暦、古希、傘寿を経て、日々の所感を綴ります。

デモは国民の権利です

usagi














           (FACEBOOKから引用)



自民党衆院議員一期(東京八区)、門ひろ子(寛子 45歳)が、4月14日放送のテレビで国会前などでの「戦争反対」やら「高市やめろ」のデモを「政治ごっこ」と、からかいました。

     

      (GOOGLE画像検索から引用)



 門は、通産官僚、首相補佐官付きなどを歴任した、いわゆるエリートですが、このデモに参加した国民を見下し,冷笑した発言には、ゾッとします。「政治をやるなら立候補しなさい」とか「政党を作りなさい」とか、お説教をたれたと伝えられています。


 民主主義社会の成り立ちについて基礎知識がないこと、デモする国民を小馬鹿にする態度に、がく然としますね。こんなのが、この春、当選したばかりの自民党議員。この程度のエリートとは、ほんと笑わされます。


 民主社会は、なにもかも国家議員にすべてをお任せしているわけでありません。国会議員は、選ばれて得た権力を、しばしば公私混同、職権乱用したり、あるいは、法律作成に関して、正しくない方向を打ち出すこともあります。いつも国民の暮らしや福祉の向上に顔を向けていないことは、ご承知の通りの実態があります。


 国民は、国会議員に万事を白紙委任しているわけではないのです。公約が間違っていることも、公約に触れていないことをやることもあります。行政や国会や司法について、その現状のあり方に国民は異議申し立てする権利があります。訴訟による不服申し立てもありますが、基本的人権の根幹である「表現の自由」を駆使して、批判と監視の意向を公にすることができます。憲法が保障しています。


        憲法第二十一条
  1. 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

  2. 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。


 もちろん、門にも表現の自由があります。しかし、公党の公人が、普遍的な政治知識がないまま、独断の発言をすれば、不適切で、批判されるのは、当たり前です。ましてや不特定多数の人が視聴しているテレビ放送番組です。身内や友人との雑談ではないのです。不見識な話といってよい。 


「高市やめろ」、「戦争反対」に限らず、森羅万象について、国民は自らの意見を述べて公開する権利があります。デモは、その一つの表現手段です。いまはデモの時間や場所や主催者をあらかじめ警察に届けますが、これは単に交通の邪魔や混雑がある場合に備えて、便宜的にデモする側が協力しているのにすぎません。そうしなくても、本来は,国民の意思表示は、いつでも、どこでも、一人でもやれるのです。


 我ら日本人は、いまだにデモをする人たちを見ると、異様な光景と感じたり、偏見や差別的な予断をもつ人が少なくありません。デモが反政府的な内容の場合にしろ、逆にタコイチ擁護、日の丸掲げて国策促進を主張する場合にしろ、いろいろです。


 解雇された会社に不当を訴えてプラカードを持って、その会社幹部の目に付く歩道を行ったり来たりする単独デモを見たことがあります。内容は公序良俗に反しない限り、なんでもOKなんです。誰に遠慮する必要がありません。


 門ひろ子が、揶揄(やゆ=からかう)したのは、デモなんかは、稚拙な手段であって、そんなことで世の中は変わらない、政権が影響を受けることがないと判断したからでしょう。


 社会の上位にあると自負する者の思い上がり、驕りです。たとえデモの結果として、具体的な効果がなくても、影響を及ぼさなくても、ある問題について、デモ側が、一定の主義主張、視点を公開で訴えた事実は残ります。


 戦後の食糧難のときに「朕=ちん、天皇のこと=はたらふく食っている、国民にコメよこせ」デモがありました。戦前ではありえない、歴史に残る表現の自由の行使でした。安全保障条約の改定に伴う国民の反対デモは全国に拡大して、条約の締結を阻止することはできませんでしたが、アメリカ大統領の訪日を阻止し、当時の岸信介首相(アヘの祖父)は退陣しました。


 アメリカではベトナム戦争反対デモは、戦争終結に実効がありましたし、人種差別反対デモは平等な公民権法を生みました。大小いろいろなデモによって世論の動向を知ることもできます。賢明な指導者であれば受け入れるでしょう。


 少数派で始めたデモが、大きな輪になって社会改革した例がたくさんあります。東欧各国や韓国の民主化デモ、アラブの春、遠く遡ればフランス革命だって民衆のデモが始まりです。


 日本では、むかしから権力者(お上)、あるいは上位者に対しては「三猿」といって、庶民は目、耳、口を隠し「見ざる、聞かざる、言わざる」の方が、世渡りする秘訣だとする考えがあり、言いたいことも言わないのが美徳とされてきました。多様な国民性のなかでは、マイナスとみられる性向です。


 また上層部のアタマには、「由 (よ)らしむべし、し(知)らしむべからず」(論語)といって、一般大衆に政治や経済政策なんか説明してもわからないから、上からの命令や指示で十分だとする愚民政策が根強くあります。要するに、一般国民は、バカにしているのです。


 先だって自衛隊演習地で国産戦車が暴発、三人の隊員が亡くなった日の夜、タコイチは、参院自民党の幹部を公邸に招いて慰労夕食会、スンジロウ防衛大臣は、三陸沖大地震のさなか、元首相キシダメらと高額焼き肉夕食会


 ついでに言えば、自民党議員が大半を占める憲法審査会の定例会議で昼食は「うな重」だったと奥田ふみよ議員(れいわ)がバラしていました。3人の子育てで家計が苦しいとの奥田議員は、そのぜいたくな昼食に驚いています、むろん昼食代は税金払いです。


 何が言いたいかというと、自民党のエライさんたちは、隊員が殉職しようと、三陸沿岸の県民が津波恐怖でおののいていようと、「こども食堂」が全国の中学校数よりも増えて困窮家庭が多かろうが、なんら弔慰も、心配も、対処もせす、平気で仲間うちでごちそうを食べて楽しむセンスだということです。庶民感情とかけ離れた傲慢さ、です。


 26日、亡くなった3隊員の葬送式がありました。最高司令官のタコイチは参列しませんでした。当日,公用がなく公邸に引きこもったにも関わらず、です。自民党は、国民に対する愛情も、人間らしく思いやる心もないようです。大衆をうまく口車にのせて、たくみに投票させたらいいと考えてるし、大衆の中には、ろくにモノを考えない人もいるのが現状です。

 

 自衛隊員さん、三陸海岸の皆さん。困窮家庭の皆さん、アホらしいなあ、やってられないなと感ずるのは、当然の感想ですよ。まともな人間らしい政治家は、政権にはいなんですよ。こんな政権ではダメだ。だから、デモする権利があるのです。


 この連休、「武器輸出解禁」にそってタコイチがベトナムと豪へ。スンジロウはフイリピンなどへトップセールスに行くという。むざむざ平和国家ニッポンのイメージダウンに意気ごんでいます。嘆かわしい。タコイチは、ニッポンを再び破滅に陥らすことに自虐的愉悦を感じているのかもしれません。


 タコイチ政権が発足して、急速に臨戦態勢が強まり、軍事国家の内容を強化する政策が次々と打ち出されています。その流れを懸念する国民のデモも活気を帯びています。19日の国会前デモでは、3万6000人(主催者発表)という大勢の参加者があリました。JR大阪駅前にも2300人が集まりました。


 最近では珍しい盛り上がりです。しかも、これまでのデモと違って、女性の参加者が増えて、全体の7割近いと言われています。若い人たちも関心が高まっています。デモの形もペンライトを振ったり、流行りの楽曲を流したりと、「推し活」のようです。新しいデモのかたちが生まれています。素晴らしい。


 全国各地の都市でも、同じようなデモが賑いました。この傾向は、タコイチ政権が数の力で専横を極めるたびに増えてていきそうです。オセロゲーム⚪️⚫️のように「タコ人気」が、早い時点で「タコ不人気」に一挙に変わるかもしれません。


 みなさん、デモに行きましょう。反対の声を広げましょう。ニッポンの軍事化に歯止めをかけましょう。平和憲法を守りましょう。


  (上下2枚 FACEBOOKから引用)




   



    (上2枚、FACEBOOKから引用)


汚染水 (政府用語、処理水)、放射線除去したのなら、なんで海に流すの?

汚染土(政府用語、復興再生土)、汚染除去したのなら、なんで全国にばらまくの?