退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

7月7日

usagi

 日本と中国は8年間、泥沼の戦争をしました。そのきっかけは、昭和12年7月7日、北京郊外の盧溝橋で演習中の日本軍に中国軍から発砲があった。その後、話し合いを重ねますが、陸軍の強硬派が戦線を拡大、ついに本格的な日中戦争に発展しました。


 その前の満州事変のもとになる柳条湖事件(昭和6年)、さらに満州国建国の邪魔になる軍閥、張作霖の乗車列車爆破事件(昭和3年)は、いずれも大陸に覇権を求める陸軍(間東軍)の自作自演とされていますので、日中戦争の戦端を開いた盧溝橋事件も、中国侵略を目指す日本軍の謀略だったとする説が有力です。


 さて、昭和15年7月7日に「7・7禁令」という命令が、政府から国民に対してありました。わざわざ「七夕」の日をスタートにして、愚かな国策を強制した歴史が、この国にありました。


 実は、3年前から「チャンコロなんか一撃だ」と始めた対中国侵略戦争が、にっちもさっちもいかず、軍事予算が国家予算の半分以上となり、大日本帝国の国力は、膨大な軍事費の消耗で立ちゆかなくなっていたのです。そこで、こうした禁令で政府はしのごうとしたのです。
 (注:チャンコロとは、中国人への蔑称です。のち昭和16年、日米戦争を開戦した東条英機首相は、「中国人というのは、人間のかたちをしたゴキブリみたいなもの」と言い放っています。戦前、戦中、日本人には朝鮮人や中国人に抜きがたい差別意識がありました。)


 正確には、「奢侈品等 製造販売制限 規制」というものです。「奢侈品」とは、ぜいたくのことです。いまなら、高級車、宝石、高級時計なんかを指すのでしょうが、その当時のぜいたく品とはなにか。


 

     

      (googole画像検索から引用)


 ご存じの方も、おありでしょうが、「ぜいたくは敵だ」、「欲しがりません勝つまでは」というような戦時スローガン。国の情報局と大手の新聞社が公募して入選した標語です。銃後(戦場でない場所)にいる国民に貯蓄と節約に励むよう厳命しました。


 どんなものが「ぜいたく品」だといえば、女性の場合、パーマネント、濃い化粧、高価な和・洋服。帯留め、指輪など、男性の場合は革靴、金ふちメガネ、背広やネクタイなどです。
 (革靴があるのは、軍用備品の皮革が足りないためです。その後、犬皮も利用されました)


 いやらしいのは、こうした禁令を政府が発すると、批判するどころか、飛ぶつくように賛同し、政府のお先棒担ぎ、旗振り役、自警団みたいな役割を買って出る連中がいっぱいいたってことです。こういう小物たちには政府は、感謝状を乱発したり、飲み食いで供応したりして、いい気にさせ、さらに励ますわけ。上への忠誠心というか、権力へのおべっか根性でしゃしゃり出る人たち。こういう人物が多いのは、ぼくも含めて日本人の国民性にあるのかと思うと、うんざりします。


 「7・7禁令」の結果、愛国婦人会とか国防婦人会とか在郷軍人会とかの、おっちゃん、おばさん、町内会の口うるさい連中が、街角にたって、道行く人々の服装を検分し、「このご時世になんという派手なカッコウをしてるのか」、「パーマなんかしてアメリカ人みたいなマネするな」と面罵したり、「戦地で戦う皇軍(天皇の軍隊のこと)に申し訳ないぞ」、「兵隊さんの苦労がわからないのか」と説教したり。群集が取り囲んでつるし上げにあった人もいました。まるで魔女狩りみたいに熱中したそうな。


  

    (国民服とモンペ姿 GOOGLE画像検索から引用)


 なんで、こんなバカげた運動を政府は企画したのかといえば、目的は戦争費用の調達です。国民の私生活までいちいち細かく干渉して、節約を旨とし、「貯蓄報国」させたのです。そして、なけなしの資産から「戦時国債」を割り当てで買わされました。この国債は、のちの敗戦で紙切れになり果てました。


 戦争を始めると、兵隊だけでなく、国民のすべてが軍事優先に組み込まれてします。開戦すると、生産活動のすべてがフル稼働しますから。軍事特需が生まれて景気がよくなります。これに国民は騙されます。長引く戦争に生産資源は、人間力をふくめて疲弊、停滞します。いい景気は初戦の一時期だけ。あとは生き地獄に変り果てます。


「ぜいたくは敵だ」運動が進むと、ついに服装なら男性はカーキ色の国民服、女性はスカート禁止、モンペと称するズボンに統一されました。国民全体が文字どおりロボットのように同じ姿になったのです。


       (googole画像検索から引用しました)


 生活が苦しく、厳しくなるほど、それに耐えに耐えて「聖戦完遂」を叫び、とうとう政府の推奨する食事は「梅干し弁当」(日の丸弁当とも)になる始末。梅は健康に良い、殺菌作用がある、などと効用を並べて国民に推奨します。


 質素な弁当が時局にふさわしいと政府は得心していたら、こんどは梅干しと米が足りなくなって、戦地の兵隊へ送る分さえなくなった。それを機に梅干し弁当を推奨しなくなったという漫画のような話も伝えられています。


 むろん白米そのものがなくなり、国民は雑草や粟やダイコン、イモづるを混ぜて量を増やしました。ジャガイモやカボチャが代用食として重宝がられ、砂糖、塩、しょうゆ、食用油も家族数に合わせて、わずかの配給になりました。日の丸弁当でさえ作れないほど窮乏したのです


 戦争というのは、単に軍部と兵隊がやるだけではすまず、「国民精神総動員法」なる法律を作り、国民生活の隅々まで、極論すれば、箸の上げ下ろし。アタマの下げ方、手の振り方まで国家権力が介入してきます。食料,衣料の切符制度、さらに配給制度をしなければ物資が回らないのに、政府と軍部は何を血迷ったのか、翌年の昭和16年12月、太平洋戦争(大日本帝国側の呼称は、大東亜戦争)に突入して、国を滅ぼしました。


 開戦まえ、軍部がひそかにアメリカとの国力比較をしたところ、生産力で1対10という大劣勢。エネルギー源の石油に至っては1対200。鉄鋼は1対60。あまりにも格差がありすぎる、とても戦争なんかやれる条件ではなかったのです。


 その事実をひた隠しにして軍部が、時の首相兼陸軍大臣、東条英機に国力比較は1対4と虚偽の申告したところ、東条は「民主主義の国のアメリカ人は女に弱い。女に泣きつかれて戦争なんかできるわけがない。日本軍には大和魂という精神力がある」と狂信的な認識を漏らしていたことが明るみなっています。


 「勝算の見込みなく、決着のつけ方をどうするかの戦略もなく」多く国民を地獄の戦争に巻き込んだのです。皇軍は、ただの一度もアメリカ本土を爆撃することができず、皇軍兵の一人としてアメリカ本土を攻撃することなく、完敗したのです。


 開戦時の大日本帝国の兵力は約300万人、敗戦時の兵力は国内のほか南方、台湾、朝鮮、中国など外地と言われたところの14,15才の少年兵まで含めて約800万人。当時の全国民の8人の1人が兵隊になっていたのです。そして国家予算に占める軍事予算は90.02%。まさに狂気の軍事一色だったのです。


 こんな愚行に国民を引きずりこんだ反省を忘れて、戦争ができる準備を進めている自公政権の現状を憂いています。「ウクライナのようになるから」「ガザのようにならないために」軍備は必要だというキシダメのような軍事拡張主義者が多いが、「だからこそ、しっかり交流し、対話を重ねよう」と言わないのが、この主戦主義者の理屈です。


 国民のなかには、ロシア、中国、北朝鮮に囲まれた「厳しい安全保障環境」のなかで、抑止力のために軍事拡張策はやむ得ない、徴兵制さえ考えるべきだという意見を持つ人がいます。


 環境が良くないからといって、こちらが刀を持てば、相手は銃を用意、こちらは機関銃をもてば、相手は大砲を持つ。これは子供の喧嘩の論理であり、安全保障のジレンマであって、止め処がない。核兵器の現代、これを用いて戦争すれば「相互確証破壊」(勝ち負けなく双方が壊滅する)なのです。


 また、先進国が徴兵制を採用しないのは「合意のない苦役」(憲法18条 奴隷的拘束及び苦役の禁止 )だからです。憲法が徴兵制は基本的人権の侵害にあたると規定しているのです。徴兵制には改憲が必要です。国のために命を捧げるという観念自体が時代錯誤と思います。だいたい徴兵制でもしいて、若いもんを鍛えないという連中は、軍隊は集団的殺人組織、心身の鍛錬は効率よく人殺しするためにあることを、どう思っているのか。


 日本には戦争をやるだけの資源エネルギーや食糧がないのです。空と海の往来を封鎖されたら、完全にお手上げになる資源小国。再び、イモづるを食べ、国民服姿になるつもりがあるのだろうか。今度は「アメリカはついている」と思う人たちは,お人好しもいいところ。アメリカは自分のところの国益優先です。日本を守るためにアメリカの青年の命を賭する気はぜんぜんないでしょう。ウクライナにもイスラエルにも米兵は送りません。自国経済がよくなる兵器をせっせと送っているだけです。


 もとより、ぼくは先の戦争に参加していませんし、戦中の銃後のくらしを直接体感したわけでありませんが、敗戦後の焼け跡の町で難民のように貧しく暮らした経験があります。戦争がどんなものか、若干の知識と想像力をもっています。下記の「白旗の少女」をみてください。


 今の時代こそ「厭戦」「非戦」「反戦」を大事したいと思っています。今度、総選挙があれば、どこの国を相手にしても、トラブルの解決のために戦争をしないという政党、候補者を選びます。巧妙に賢く、国際協調を維持し、他国と決して争わないことを国是にする政党、候補者を選びたいものです。



(FACEBOOKから引用しました)

  

  (白旗の少女 沖縄戦で木の棒にふんどしの布切れで作った白旗を掲げて
  投降する少女。米兵撮影。戦後ずっとあとに、この当時6歳の少女が存命
  していることが分かった。比嘉富子さんの体験は本やドラマにもなってい
  ます。google画像検索から引用)


  より詳しくは、下のyoutubeをご覧ください。



  気を付けよう、汚染水と自公維国!!

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