退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

自戒をこめて

usagi

  今年を顧みて、たびたび自公政権を批判するブログを書いてきました。


 もちろん野党もだらしない連中がおり、政策が一貫しないことが多々ありますが、なんといっても、野党は権力の中枢にいません。ご意見拝聴しますで済むことが多いのです。


 批判すると、読んだ方の何人かが、意見が異なる、バカ言っている、的外れなどと思う方がおられます。なかには「死ね」とののしる人もいます。違った考えがあるのは、当然のことですから、気にしていません。でも、「死ね」はないでしょう。そういう反応しかできない人は、哀れですね。


 政権与党の批判をやめないのは、いろいろな意味で,力を持つ人、団体、組織を批判する声がなければ、彼らは自らがやっていることが、すべて受け入れられている、賛同されていると思うからです。自らを顧みてほしいからです。


 誰に頼まれてもいないし、儲かるわけでありません。ここが肝心だと思っています。自分で考え、カネにもならないことを言えるのが、言論の自由です。


  残念なことに、アへやアソウのように、部下に公文書の改ざんを指示して、その苦痛に耐えきれず自殺した人を弔う気持ちがぜんぜんない権力者がいます。人間らしい良心の呵責さえないようです。


 「国民の生活を守る政治は間違っている」(イナダトモミ)とか「性的少数者は生産性がない」(スギタミオ)、統一教会とズブズブの関係のオギウダのように、まったく良識が通用しない国会議員が大勢います。


 ぼくは、批判する目を持たなければ、世の中に進歩がないと思っています。お上のやることに間違いないとは、ぜんぜん思いません。むしろ、大事なことに限って、誤魔化しやウソをつくのが、お上のやることだから、国民は監視を怠らないことだと思っています。洋の東西を問わず、権力者はうそをつきます。


 こちらの批判的な意見が受け入れられて、すぐに改めるなどとは思っていませんが、遠い将来、批判した方向になっているのにちがいないと楽観しています。


 10年ほどまえ、こんな新聞広告が話題になりました。


 誰でも知っている「桃太郎」のおとぎ話が素材です。爺さん婆さんに育てられた桃太郎は大きくなると、イヌやサルやキジを引きつれて、鬼ヶ島を攻めて、鬼を退治し、金銀財宝を爺さん婆さんへのお土産に凱旋する物語です。戦前は、勇ましい男児のシンボル、敵をやっつける勇壮な聖戦物語でもありました。


 しかし、この物語には、鬼が、どんだけ悪いことをしたのか、他人を困らせたのか、退治しなければならない理由が一つも描かれていません。そうだとすると、鬼には何の罪もない、無実の身なのに、一方的に征伐にきた桃太郎に殺されることになります。あってはならない話じゃあないですか。


 その鬼の子どもからすれば、桃太郎一派は、侵略者、強盗殺人犯じゃーないですか、なんで、「めでたし、めでたし」で終わるのか、という疑問を、この広告は投げかけているわけです。


 一つの事実、意見について、立場を変えてみたら、全く違う事実のとらえ方、異見がありますよ、正しいのはどちらか、というメッセージが広告に込められています。


 キシダメは「国民の命と暮らしを守るために防衛力を強化し、負担が増えるはやむえない」と語っていますが、国民の側からすれば、「命と暮らしを守る」のは、医療や年金や福祉や教育の充溢であって、戦闘機や巡航ミサイルではない、という意見がおおかたを占めていると思います。おおかたの意見を無視して強行するなら、納得できる理由を示してもらいたいものですが、それもムニャムニャです。


 相手の戦力に対して応分の戦力を備えれば、相手は、その戦力に対抗する戦力を用意する、すると、こちらは、またそれを上回る戦力を用意する、、、、という終わりのない拡張サイクルにはまってします。


 「武力で現状変更は認めない」とプーチンに抗議するキシダメが、武力に依存するなら、プーチンと変わりがないのです。なんで危機回避のための話し合いを続けないのか。この国の防衛力強化論者は、なぜ外交、話し合いを軽視するのか。


 話は変わりますが、この国の小中学校9年間の「義務教育」は、子どもに課せられた義務だと、ぼくは、ずっと思っていました。ところが、です。この義務は、親ならびに保護者に対する義務であって、子どもの義務でない、子供には権利だというのが、正しい憲法、教育基本法の理解の仕方だと知りました。元文科省次官だった前川喜平さんが言っています。


 「義務教育だから学校へ行きなさいよ」という世のお父さん、お母さんの認識は間違っているのです。子女を持つ親の方に、子どもに教育を受けさせる義務があるのです。真逆なのです。「学校はイヤ」、不登校や病気などで通常の義務教育のルートから外れても、いいのです。


 それでも、親に義務がありますので、子どもの教育を受ける権利に多様性を配慮しなければなりません。「教育機会確保法」」いう別の法律があって、義務教育いがいの方法で権利を実行できることになっているのです。目からウロコでした。


 デモなどで「憲法を守れ」」というプラカードがよく見られますは、この「守る」のは、誰かと言いますと、憲法第99条では「天皇をはじめ国務大臣,国会議員,裁判官その他の公務員に憲法を尊重し擁護する義務を課して」います。一義的には国民ではないのです。


 国民は、どうかと言いますと、憲法第12条で「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」とあって、「保持しなさい」とあります。「擁護義務」ではなく、「保持」とあります。ぜんぜん言葉のニュアンスも意味する強さも違います。


 あのアへが「いまの憲法は日本の恥」とか「みっともない憲法」とふだんに罵倒していたのは、どんなに憲法違反の愚かな発言であったことか。立場上、決して公開の場で言える発言でなかったのです。アへに限らず、公然と改憲を言いつのる自公の国会議員たちも、そうです。現役の「擁護義務」のある人は、改憲を公人として言ってはならないのです。この点は、マスコミが事あるごとに批判しなけれならないのに見過ごしています。知らんぷりするのは、共犯です。情けないマスコミです。
 
 ぼくが、 こんな連中を公然と批判できるのは、憲法12条が保障しています。


   一、集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
  二、検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。


 モノをいう自由、これが民主主義社会の最善の守護者であり、最後の砦です。


 来年4月には統一地方選挙があります。そのまえに支持率25%まで下がったキシダメが、破れかぶれの解散、総選挙に打って出るかもしれません。おおいに批判の目を自公維に向けたいものです。自公維をこらしめないと、この国は歯止めの利かない軍事国家になりそうです。核兵器につながる次の戦争には勝者も敗者もありえません。


 この人物が、ニッポンの、いわゆる”三軍の長”です。国民の命運を託せる人物かどうか。戦争ごっこのコスプレを喜ぶ写真に寒気がします。


 (写真は、GOOGLE画像検索から引用しました)

×

非ログインユーザーとして返信する