八月や 六日九日 十五日
俳句です。
五・七・五
季語は,言うまでもなく、八月
79年前の昭和20年(1945年)の8月、日本で起きた前代未聞の不幸な出来ごとの日付をつないだものです。この俳句には「八月は、、、」、「八月の、、、」などとはじまる類句がありますので、一応,俳句の世界では、「詠み人知らず」ということになっているようです。
原爆で壊滅した広島市(左)と長崎市の光景(Google画像検索から引用)
いうまでもなく、
六日は広島に人類初の原爆が投下されました。
九日は、長崎にも投下されました。
両市合わせて、瞬時に23万人超が死亡しました。赤ん坊、児童生徒、爺ちゃん、婆ちゃん、兵士ではなく、一般の市民と言われる人たちが、声を上げる間もなく亡くなりました。いまだに被爆者援護について、政府は尻込みしています。戦争による犠牲者です。日本の誤った国策による被害者です。そして、米軍の原爆投下地に選ばれた被害者です。
十五日は、「敗戦記念日」です。古い頭の人たちは、この日を「終戦記念日」と胡麻化された表現になじんでいます。「全滅」を「玉砕」と言い換えて美化する軍部の「大本営発表」の手口と同様です。とても日本が自主的に戦争を終えたものでなく、否応なしに「無条件降伏」を受け入れた日です。政府・軍部は「負けた」と言いたくないのでしょうが、現実は「完敗」でした。
実は、十五日を「終戦記念日」としているのは、日本だけです。米英など連合国軍から示された日本の敗戦にかかわる「ボツダム宣言」(7月26日に提示)を受け入れて、天皇が「終戦の詔書」を読み上げた日、いわゆる「玉音放送」が流された日です。ポツダム宣言から約3週間の空白。政府と軍部は、なお戦争継続か、敗戦を受け入れるか、ぐずぐずと優柔不断の間に原爆投下がありました。ぐずぐずが、23万人の命を奪ったのです。
「玉音」とは天皇の肉声のことで、当時、天皇は「現人神」(あらひとがみ=生き神様のこと)でしたので、一般国民が天皇の生の声を聞くことがなかった。まさか、まさかの「生き神様」といい、「玉音」なる言葉といい、今では信じられないことが、本気で信じられていました。神州不滅、天皇は神聖にて侵すべからず、、、一言でいえば、今の北朝鮮と同様の神がかりのカルト集団みたいな国柄だったのでしょう。
ミズリー号甲板で無条件降伏の署名をする日本政府代表
(google画像検索から引用)
ただし、終戦日を8月15日としているのは、日本だけです。連合国軍側の国際社会では「9月2日」が、「対日戦勝記念日」とされています。東京湾の米艦ミズリー号で、連合国軍代表、アメリカに対して日本が正式に降伏調印式で署名した日です。
したがって、8月15日を過ぎても、旧ソ連(現ロシア)が満州、朝鮮半島北部、千島列島などを占領したことについて、日本側には旧ソ連の不法行為として議論がありますが、当時の連合国軍からは問題視されていません。米英ソ首脳による対日戦後処理方針を決めた「ヤルタ協定」の方が重視されています。(ただ、ソ連軍の千島列島侵攻終結は9月5日でした)
ぼくの嫌いな政治家だった元首相アへについて、こんな話が残されています。延べ8年間政権を握ったアへは、在任中、「アメリカは、広島、長崎に原爆を落として、”さあ、どうだっ”とばかり、ボツダム宣言を出してきた」と発言し、モノ笑いのネタされました。
当時、血迷った軍部には、あくまで抗戦という強硬派がいて、本土決戦を主張し、ボツダム宣言を黙殺しようとしました。このため、連合国軍は、ダメ押しに原爆投下し、旧ソ連(現ロシア)も8月9日、対日参戦したのです。いち早く受け入れていれば、少なくとも原爆投下は避けられていたかもしれないのです。いや、避けられていたでしょう。
とにもかくにも、アへの「ポツダム発言」は、自称法学部政治学科卒業、一国の現役首相、しかも、祖父岸信介が開戦時の大臣だったという稀な立場なのに、国家の歴史的大転換期に当たる史実の時系列について、全く無知であることを露呈したものでした。思えば、ホント、見識がないバカな人物に、この国を託していたものです。まあ、選んだ自公支持の有権者のせいでもありますが、、、。
バイデンが「高齢撤退」した例に倣えば、日本にも、そこここにいるだけの「御邪魔虫」か、「ゼニに群がるシロアリ」みたいな政治屋は、撤退してもらいたいのものです。キシダメはじめ政財界は、着々と「戦争できる準備」を進めています。アへのように日本が壊滅させられた歴史的経緯に無頓着な政治家ばかりの気がします。この国の政財界の主流派は、常にアメリカの利害に寄り添うことで地位を得ています。同じ敗戦国ながら、対アメリカと一歩も譲らぬプライドを持つ独伊に比べると、アメリカの属国と言われるゆえんです。
つい先だっても、在日米軍に「統合軍司令部」を設け、それに合わせて自衛隊は陸海空自衛隊を統合する「統合作戦司令部」を発足することに合意しました。「統合軍」とは、言うまでもなく、日米統合軍を指します。有事(戦争)では、自衛隊は米軍の作戦・指揮下に入るための段取りです。このやり方は米国・韓国軍との編成と同じです。韓国軍は朝鮮戦争を米軍とともに、ベトナム戦争を米軍とともに戦い、血の同盟国でありますが、自衛隊は、アメリカのパシリにすぎません。
昔、広島に仕事で赴任していましたので、原爆の恐ろしさ、被爆者の苦難について、少しは知っているつもりです。30数年まえことです。それ以前では、被爆者は原爆の犠牲者、被害者だとの意見が大勢でした。「アメリカけしからん」、「非人道的無差別殺害だ」だと。確かに被害者であることに変わりがありませんが、そもそも、その被害者を生み出す戦争を仕掛けたのは、日本ではないか、という視点が大事だと見直されていたころでした。
日本が満州事変いらい12年間にわたる中国侵略を続けていたこと、その途中から、さらにハワイ真珠湾奇襲攻撃に始まるを米英との戦争を始め,戦線を拡大しました。当時の状況は複雑であるにせよ、日本が先制攻撃をかけた加害者であることは紛れもない事実であるという認識が強まっていたと思います。「アメリカけしからん」論法だけでは、不都合です。
したがって、地球も破壊する最終兵器である原爆の使用を再びさせないための「ノーモア原爆」から、もっと広く視野を広げて、「あらゆる戦争反対」へと反戦運動が広がっていったと思います。
もう戦争はこりごりという国民感情、平和を願う市民運動を苦々しく、あるいは敵意さえ見せて対抗する勢力を増長させてはなりません。先の大戦のあれほどの戦禍に打ち砕かれた国民の一部が、再び「戦争やむなし」と考えるなら、一体、どれほどの戦争災害に合えば、人々は平和主義に転じるのだろうか。
もう、この先、「九月かな」、「十月や」などと苦難と悲哀に満ちた俳句が作られないようにしたいものです。
(上下ともFACEBOOK投稿者から引用しました)
気を付けよう、汚染水と自公維国!!
裏金議員、統一教会友好議員、世襲議員を落選させましょう。