退屈な80代

           還暦、古希、傘寿を経て、日々の所感を綴ります。

雪だるま鬱

usagi

  お天気の全国予報に「雪だるま」が描かれています。北陸、東北、北海道方面は、いくつもの「雪だるま」が並びます。


                (google画像検索から引用)



 これを見ると、雪国の人たちの暮らしが大変なのがしのばれます。とてもじゃないが、観光地向きのいい景色だとか、楽しいお遊び気分にはならないのです。むかし、仕事で雪国に二年半暮らして、体調がひどくおかしくなったことがあります。それに懲りて、雪国で暮らす人には申し訳ありませんが、雪国は好みません。天気予報の「雪だるま」のイラストには、ちょっと違和感があります。


 太平洋側の育ちです。それまでの人生で雪国に住んだことがありませんでした。まだ若かったので、10月,社の転勤命令に伴う送別会のときには、当時、松尾和子とマヒナスターズが歌って流行っていた「お座敷小唄」の歌い出しにある「富士の高嶺に」を赴任先の地名に変えて、機嫌よく歌ったものでした。


♪ 越中富山に 降る雪も
京都先斗町(ぽんとちょう)に 降る雪も
雪に変りは ないじゃなし
とけて流れりゃ 皆同じ


 元気よく赴任したのですが、着いてすぐ驚きました。あれッ! 川の流れが逆流しているぞ。水の流れが太平洋側と反対に日本海側に流れているわけです。これは新鮮な驚きでした。長野県育ちの後輩が、海を見たことがなかったので、長い間、海は諏訪湖のようなものと思っていたという話に笑ったことがありました。川の流れに驚いているのは、我ながら笑えない幼稚さです。


 11月半ばから来る日も来る日も、晴れ間がなく、降り止まぬ雪、雨、みぞれ、4月ごろまで雪解けでぐちゃぐちゃになった道を歩いているときの情けない気持ちが忘れません。まだ道路に融雪装置なんかないころでした。いつも頭上にずしり重い雲が垂れこんだような、陰々滅々、閉塞感にも悩まされました。


 仕事場であるの県庁でも市役所でも、土地の職員は泥まみれの長靴をベタベタ履いて出勤してきて、机の下においてあるゴム草履や平靴に履き替えていました。借家からバス停までの路地裏を歩いているだけでズボンの裾がぬれるのには往生しました。


 夜、飲み屋に行っても、みんな長靴です。土地の人達は、この季節はそういうもんだ、という気持ちです。何百年と続く習わしが身についていますが、初めて暮らす者にとって雪国は、そうとう暮らし方に身構える必要がありました。メンタル面ですっかり意気喪失しました。不登校の子どものように朝、目覚めて雪を見ると、出勤するのが嫌になりました。鬱状態になっていたのです。宿直明けの最初の仕事は、車にチェーンを巻き付けることでした。これが面倒で,いやな作業でした。


 仕事のあいまに県民会館の喫茶店によく行きました。窓の外、富山城公園にしんしんと降る続ける雪を眺めて嘆息したものです。こんな天気を変えるには、日本アルプスをぶっ壊さないとダメだなと途方もない事を考えたり、また厄介な山岳遭難が起きるにちがいないとか、仕事とからめて雪害を心配したものです。「サンパチ豪雪」という惨状が生々しく記憶にあったからです。


 昭和38年の豪雪災害は、赴任前のことでしたが、歴史的な大雪を記録し、た「三八(サンパチ)豪雪」として記録されています。市内でも2メートル近い豪雪で、交通運輸がストップ、食料の需給にまで深刻な影響がでて、日常生活が大混乱。初めて雪害に「災害救助法」が適用されました。新潟出身の田中角栄が大蔵大臣だったときです。彼は雪国のハンディ、気候格差をよく理解し、政治の活力にした政治家でした。


 ロッキード事件など、功罪半ばの評価がありますが、こういう馬力がある政治家がいなくなりました。裏金コソコソ、秘書が秘書が、知らなかった、知らなかった、何をしたくて政治家になったのか、小粒で自己保身の連中ばかりです。屋根から落ちる雪の下敷きになってもいいようなやつばかりです。


 わずか2年半でしたが、雪国暮らしには難儀しました。雪は景色として眺めるのは素晴らしいが、そこで暮らすには、どうも体質的に考えても適さなさいような体験をしました。やはり陽の光が欠けると、元気が出ない性分なのです。


 いまも天気予報に出る「雪だるま」は、あまりにもノー天気、牧歌的、ファンタジーすぎる気がしますね。地元の人はどう思っているのでしょう? 雪が多い他国では、どんなイラストが描かれているのか、ご存じの方は教えて下さい。


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 「ホワイト・クリスマス」。ビング・クロスビーの定番でした。ほんわか甘く、包み込むようなふくらみのある声です。高校生のころ、交通事故で負った後遺症の手術のため、当時、堂島川べりにあった阪大病院に入院してました。クリスマスなのに個室で独り天井を見上げて寝ていました。なんとも寂しい気分でいたとき、この曲が「ポータブル・ラジオ」から流れてきました。ジーンと胸に響きました。クリスマス・ソングは讃美歌も含めてたくさんありますが、あのころの思い出とともに、おだやかな「ホワイト・クリスマス」をしみじみ、懐かしく聴きます。


 当時は、まだテレビは普及しておらず、どんどん小さいかたちになる携帯ラジオが流行りでした。非番の若い看護婦さんが、一晩だけ貸してと頼みに来る、そんな時代でした。当時は、白衣、頭に白いナースキャップをかぶるのが、看護婦さんでした。看護婦さんはみんな優しいと、それ以来、ずっと思いこんでいます。まあ、遠い日のことです。




              (FACEBOOKから引用しました)
なんで、あんなこんなできそこないの国会議員を、こんなに厚遇しなければならないのか。ヒラ議員でもイギリスやフランスの首相よりも高額なんですよ。昼寝付きの世襲議員を産む土壌でもあります。議員職はほんらい家業ではないのです。世のため人のため社会貢献する奉仕精神が大切なんですが、長い自公の長期政権の間に、お手盛りを重ねてきた結果、世界最高の高給取りなっているのです。あの議員、この議員の顔を思い浮かべてごらん、こんなに税金ををふるまってやるほど活動していますか、値打ちがありますか。


言ってもはじまらないか。せめて参院選まで忘れないようにしましょう。年内最後の腹立ち納め、です。