退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

ビル火災のこと

 「13日の金曜日」なんて、キリスト教徒でない身には、ふだんの日常と何の変りばえもない。そう思って新聞を読んでいたら、50年前のこの日、この国のビル火災史上、最多の死者118人を出した大阪の「千日デパート火災発生の日」だと気づきました。


 とたんに忘れていたあの日の出来事が、大波のように押し寄せてきました。あの大火災をいちばん乗りで現場に駆け付け、炎と猛煙のなか、チャイナドレスのホステスたちが、つぎつぎと七階の窓から飛び降りて、即死する凄惨な場面を、なすすべもなく、目撃したのです。


 また、むかし話かと思わないでください。昔話は年寄りの唯一の得意技なんです。


 あの晩、午後十時半ごろだったか、夜討ちに出ようかと、仕事場の大阪府警本部の廊下を歩いていたら、「千日デパートで火事!」という110番を通報を聴いた。同デパート七階建て。六階まではでテナントやスーパーが入り、七階はアルバイトサロン「プレイタウン」がありました。六階以下はすでに閉店していました。


 (夜討ち朝駆け、取材対象者の自宅に就寝まえ、出勤まえに訪れる取材方法)
 (アルバイトサロン、略してアルサロ。ホステスがいて、バンド演奏があり、キャバレーとほぼ同じですが、ホステスがほとんど主婦のバイト、料金が割安と言ったところがウリの風俗店)


 そのままタクシーを拾って現場へ。ものすごい黒煙に包まれ、窓から火焔が吹き上げている千日デパートビル。「プレイタウン」がある七階の窓には助けを求める人たちの姿が煙になかに見えました。群衆の間を縫って前にでると、目前にチャイナドレス姿の女性が降ってきて、ぐしゃっと音を立てて即死だったと思います。


 下の階からの火災で、建材や商品など大量の火種が猛煙を上げ、空調施設、階段、エレベーターなどを通じて七階から屋上まで黒煙につつまれています。アルサロの通常の出入り口はエレベーターですが、煙のトンネルと化しています。ホステス、バンドマン、従業員らは逃げ場を見失っていたのです。


 つぎつぎと女性や男性が降ってきました。そのたびに群衆が「ワー」、「ギャー」と叫び声をあげて凄惨な雰囲気となっていました。消防のはしご車が到着し、一人一人リフトで降ろすのを待っていては、煙に巻かれて死んでしまうと判断したホステスや従業員たちです。
幸いリフトに救助された人たちは、全身ススだらけ、真っ黒になっていました。


 (写真はGoogle画像検索から引用しました)


 不謹慎な話ですが、ダイビングするホステスのチャイナドレスの裾がめくれて夜空に白い肢体が光りながら落下してくる光景は、この世のものとは思えぬ奇怪な情景でした。しばらくは足が震えました。デパート南端は千日前筋商店街のアーケードがあります。このアーケードが少しでも近いと思うのか、アーケードの屋根を目がけて飛び降り人もいましたが、波板を突き破って地上に墜落していました。


 救助袋が吊り降ろされても、袋の中に入るよりも馬乗りにまたがり、滑り降りる人もいましたが、途中でで手を放し、墜落者が続出しました。あとでわかったことですが、激しい摩擦でやけどを負うほど熱くなって耐えられなかったのです。人が死んでゆく。目の前の阿鼻叫喚に何に一つ手助けできないのですから呆然です。


 十数人の飛び降りを目撃したあと、群衆をかき分けて商店の店先の電話機を借りて本社に電話、「見たままは話すから、原稿にしてくれ」と一気にしゃべりました。早版には間に合いました。さらに応援部隊がわんさとやってきて、デパートと交差点を挟んだ対角線上の居酒屋を貸し切り、前線本部としました。


 その後、ぼくは特捜本部が置かれた南署にはりつきました。デパートでは当時、三階で内装配線工事が行われていたことがわかり、失火容疑の現場監督が任意同行で連れてこられたことをキャッチして速報しました。工事中にタバコを吸って、それが何かに引火したという疑いでした。この容疑者は翌日逮捕されましたが、のちに証拠不十分で不起訴になりました。


 南署で徹夜で警戒、鎮火したプレイタウンの現場に入った捜査陣と本部とが交わす警察電話に「50頼む」、「70頼む」と時々、数字が入ります。用意する棺の数を伝えているのです。夜明けとともに、続々、数が増え、「100頼む」と犠牲者が膨れ上がりました。


 明けて「母の日」である日曜日にもかかわらず、特別に夕刊を発行することが決まりました。犠牲になったホステスの多くは子どもを持つ母親でした。いつの世も、貧しい境遇の者が、取り返しのつかない不運に出遭う現実があります。


 この大火災をきっかけに消防法や建築関係の法令、人命救助の機具、設備などに大きな改革が行われましたが、その後も火災による、とくに放火による火災での惨事が絶えません。炎より一層怖いのは、猛毒の煙です。一酸化炭素ガスを吸うと、数秒の猶予もありません。


 あれから、いつも出入り口が一つしかなく、袋小路になりそうな場所やホテル、ビルの中の居酒屋なんか警戒するのが習い性になりました。「いつも心は逃げる用意」は、都会暮らしでは、必須の心得ですね。

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