退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

ノーモア戦死者

 キシダメ政権は戦争準備にムキになり、向こう5年間に総額43兆円をかけ軍拡整備、すでに米国巡航ミサイル「トマホーク」400発(一基約5億円)を購入、そして沖縄以南の島々を軍事要塞化、国内基地の地下化を進めています。


 そして、というか、流れの成り行き上、当然というか、ついに戦死者が出た場合の遺体取り扱いまで演習しています。戦死者処遇、これぞ究極の臨戦態勢じゃーあーりませんか。ぼくは、どんな形の戦争でもやってはいけないと思っていますので、こうした訓練には、がく然とします。


 日本は、1945年の太平洋戦争の敗戦いらい79年間、ただ一人の戦死者も出していない。平和国家の誇り高い証です。という人が政治家や教育者のなかにもいますが、それはウソです。あるいは,以下のような事実を知らないのです。


 朝鮮戦争(昭和25年~27年)では、旧海軍将兵による掃海艇約20隻、約1200人が参戦し、59人が戦死しています。このほか日本人約8000人が、米軍の指揮下で後方支援の雑役などで出動、100人以上が死んだとされています。


   掃海艇殉職者慰霊碑 (google画像検索から引用しました)



 この参戦は秘密裡に行われ、戦死者には当時としては破格の弔慰金が払われています。これには口止め料の意味もあったとされています。政府は、ずっとあとに戦死者に勲章を授与していますが、これも公開されることなく行われています。戦死者の慰霊碑が四国・金毘羅さんにあります。ただ、後方支援の死者たちは、米軍と個人的な雇用関係だったとして政府関与を否定しています。


 海上保安庁による掃海艇の参戦は、米軍からの事実上の強制で、当時の吉田茂首相は容認しました。海上保安庁は最近まで非軍事組織でした(キシダメは海上保安庁長官を防衛大臣が指揮できると編成替えし、準軍事組織にしました。いずれ軍用船にするための布石でしょう)


 この掃海艇参戦の事実からわかることは、平和国家として新憲法発足後、わずか4年後に、紛争解決のために海外派兵し、武力交戦という違憲行為がなされていた、しかも非軍事組織の海上保安庁が軍事作戦に参加という法令違反が極秘に運用されていたことです。


 つまり、政府というのは、国民に知らせないまま、憲法違反もなんのその、平気で戦争に走るものだということを物語っています。「戦争反対」、「軍備拡張反対」などと国民の多くが、声をあげても、国家権力を握る者は、国民から民意を負託されているという建前を「白紙委任」のように解して権力を行使します。


 したがって、開戦を決意すれば、それを阻止するのは、大変困難だということです。もちろん国策遂行の邪魔になる批判者や反対者は法令でもって拘束、社会からつまはじきされるように仕向けてくるでしょう。戦前戦中は、そうでした。


 正月明け早々に防衛省の幹部ら20数名が靖国神社を参拝したことが毎日新聞のスクープで分かりました。靖国神社は先の太平洋戦争を、アジア解放のため、国体護持のための聖戦であったとし、戦死者のほか、東京裁判でA級戦犯とされた戦争指導者も合祀されています。


 憲法が規定する政教分離の原則から、防衛省幹部が公式参拝するのは、あってはならないことですが、防衛省は私的な参拝だが、公用車を使ったのは不適切として、3人の幹部を処分しました。問題点をすり替えています。


 この参拝行動から、防衛省幹部が、戦争指導者を合祀する靖国神社を肯定的にとらえていることが分かります。再び、戦死者が出るような事態になれば、防衛省は靖国神社を、その精神的支柱にしようと企図していると考えられる行為です。


 実は自衛隊は毎年、陸海空"三軍”と米軍らで「自衛隊統合演習」を展開していますが、昨年11月、沖縄諸島を中心に行われたこの演習のなかで、「隊員戦死、遺体取り扱い」訓練が行われたことが初めて明らかになりました。自衛隊はこのことを対外的に公表しませんでしたし、幕僚長や防衛大臣も「事の性格上、細部を明らかにしない」と内容について話すことを拒んでいます。


 訓練では、激しい戦闘で戦死者が出ることを想定して、遺体収容袋や棺の用意、また車両やヘリでの搬送、負傷者の応急処置、仮埋葬や臨時遺体安置所の設置など、遺体の取り扱い・管理に当たる隊員の習熟を図るなどの作業があった模様です。


 戦争すれば、当然なことに戦死者が出ます。その取り扱いについて、いまだ国民に説明されたことがありません。当たりマエダのクラッカーですが、日本は「戦争をしない国」と憲法で定めているわけですから、戦死者の処遇まで演習するのは、違憲的行為じゃーありませんか。


 にもかかわらずが、すでに戦死者問題は、「専守防衛」の防衛省内部でも協議されているらしく、消息通によれば、最初の海外派兵による戦死者を羽田空港に首相や閣僚級が出迎えるかどうか、国葬か公葬か、墓地はどこにするか、といったことが内部では検討されているようです。いつでも、どこでも、戦死者が出れば、相応の対応ができます、というのは、「戦争をしない国」にとって、どれほどブラックユーモアであることか。


 米軍と協同行動として自衛隊が海外派兵するのは、キシダメ政権と自衛隊にとって自明のこととなっています。あなたや子息が、天皇や国土保全のために戦死できますか。キシダメやアソウや堕落した自民党のために戦死しますか。


 右翼論客の桜井よし子や百田宗樹なんかの無責任な扇動に乗って、戦死する不安が身近に迫っていると考えます。戦死は、美化したり、称賛したりするものでなく、個人の一生が国家権力によって、不意に生存を踏みにじられる冷酷な死に方です


 幸いなことに、日本では、まだ発言の自由が、ある程度,保障されています。革命(権力の上下移動)やクーデター(権力の水平移動)など暴力によって、政権を倒す必要がありません。有権者みんなに自由投票の一票が与えられています。みんなが投票場に足を運び、自民、維新、国民党の好戦政党を支持しないことで、「戦死者の遺体処理」演習を不必要とすることができます。


 戦争は、最大の非人道、最大の悪です。やむにやまれなかった、として310万人もの戦死者がでた先の大戦の愚かしい行いを再び起こさないようにしましょう。腐りきった自公政権にサヨナラするために、次回の総選挙では平和を守るために投票しましょう。


  気をつけよう、汚染水と自公維国

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