退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

コロナ言葉づくし

 いきつけのスポーツジムの浴場とサウナに「黙浴にご協力を」と印刷された大きなポスターが張られました。


 「不急不要」の「巣ごもり」の身ながら、「密集,密閉、密接3密」とはいえ、数少ない出かけられる場所に究極のポスター登場しました。ひたすら汗を流せ、体を洗え。修行の場のようです。


 それまでは「会話は控えてください」と遠慮がちな張り紙でしたが、守らぬ人が少なからずいましたので、踏み込んだ表現に変えたらしい。ジム側は「クラスター」化が心配なんだ。


 「斎戒沐浴」の「沐浴」と読みはいっしょでも、風呂やサウナには、「黙って入っておれ」という作法?が「コロナ時代」に現れたのです。


 福岡のカレー屋さんが始めたという「黙食」なる言葉が、あっという間に居酒屋さんや飲食店で広まりました。そのうえ「ステイ」時間を限り、対面テーブルでは真ん中に「透明の仕切り板」で壁を作る、念の入れようです。黙々食って、さっさと出てくれ、というマナーです。


 「黙食」は生き残るためのやむなく思いついた奇策の客商売でしょうが、むかし、三船敏郎の「男は黙って、サッポロビール」というCMがありました。いまでも、ぼくの好きなビールはサッポロですが、あのころの「黙って」はおおらかな牧歌的でさえあります。


 「黙食」というのは、「もくじき」と読んで、禅宗のお寺さんでは修行中の僧侶が、黙々と食事をしていますが、あれを想像すると、居酒屋のサシミもレストランのパスタも美味しくないのではないか、楽しくないのではないか。こんなのが「コロナ後」の「新しい生活」パターンになるとしたら、寒々としますね。


 こうなると、遠く離れて「ステイホーム」するもの同士が「ZOOM飲み会」する方が、まだ盛り上がるかも。 はやりの「テレワーク」や「リモート出演・授業」などと人間関係はよりいっそう希薄になりますね。、


 どこかの市バスが乗客に「黙乗」(もくじょう)のお願いを張り紙とアナウンスして呼びかけているとか。頭に「黙」をつけた新語や造語がどこまで出てくるか、興味深いことです。


 協力しないと「マスク警察」や「自粛警察」と言われるお節介な連中が目を光られせています。こんな連中を「黙殺」できない、いやな空気が蔓延しています。


 スーパーやコンビニでの買い物は、コロナ以前から事実上「黙買」でした。しかし、いまは、お釣りのやりとりまでトレイにのせて自分で取る始末。自販機やエレベーターのボタン、ジムのマシンのスイッチなんかもアルコールを吹きかけたティッシュで抑えてから扱う人をよく見かけます。もともと「手指消毒」の清潔好きな人々が病的なまで潔癖になっています。


 世界規模の「パンデミック」のもとの「緊急事態宣言の発出中」、「濃厚接触」したら「飛沫感染」するから「ソーシアル・ディスタンス」を「2メートル」ほど感覚をあけて、、、なんて。耳新しい言葉にも慣れてきました。


 「変異株」拡大による「第四波」を抑えるために、そのうち愛情交歓は「アベノマスク」をして「黙交」で、なんて言い出す愚かな「専門家」が出たりするか、まあ出ないか。


 「ソーシアル・ディスタンス」というのは、もともと社会学の用語で、障碍者や弱者、あるは人種や肌の色や意見など自分とは異なるものに対する排除や差別感、心理的な距離感を意味していましたが、いまは単純に「一定の距離を開ける」意味に使われています。


 「ワクチン接種」、「PCR検査」や「逼迫する病床」と「エッセンシャル・ワーカー」の医療従事者たちがよく使う用語が一般の人の会話にもしょっちゅう使われて、一億総「コロナ対策」に巻き込まれています。


 いまのところ、この猛威、簡単に「終息」する目途はなさそう。長引けば長引くほど、「コロナ後」は、世の中のさまざまな分野で「ライフスタイル」の変容が起きそうです。


  なんせ、「給付金」「10万円」はじめ「GO TO トラベル・イート」なるけったいな和製英語を生み出した自称「ガースー」さんは、親子で行政を私物化できても、国会では「打つ手がございません」と泣き言をいいながら、「1都3県」の「緊急事態を解除」するつもりらしい。


ガースー」さん常套句の「いずれにしても」だが、いま諸悪の根源は、「後手後手」「スカスカ」の「ガースー」政権にあります。とうてい国政、とりわけ「コロナ終息}を担える器ではありません。来月の日米首脳会談で愛想つかされ、早く「黙退」してほしいものです。

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