退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

ワクチン接種のこと

 きょう(12日から)高齢者向きのワクチン接種が始まりました。


 ぼくが住む自治体では、まだなんの音沙汰もありませんが、隣の自治体の友人には、「ワクチン接種券」が配られてきたという。似たような規模の自治体なのに、この差はなんだろうか。


 最近の報道では、大阪府では高齢者240万人の1%程度のワクチンしか届いていないという。これでは、いつになったら行き渡ることやら。


 と気にしているようなことを書きますが、ぼくは接種券なるものが配られてきても、ワクチンを打ってもらうかどうか、そっちの方を思案しています。なぜなら、ワクチンには不信感を持っているからです。


 先行接種した医療関係に務める女性の話では、打たれた際にちくっと痛みを感じだが、その後の待機時間にも異常が感じられなかった。夜になってなんだか倦怠感が強くなって早寝したら、翌朝は平常だった。二回目の接種の方が副作用が出やすいらしいと言います。


 そして、二回目を受けた医療関係者のなかには、インフルエンザのような発熱やだるさを感じて寝込んだ人が少なくないといいます。


 医療関係の次は高齢者です。すでに、その順番がごちゃごちゃになっている自治体があるとニュースがつたえていますが、そんなことよりも、やはり副作用が心配です。


 英国ではアストロゼネカの副作用で血栓症が現れていると報道されています。アメリカでも看護師が亡くなっています。日本でも神経障害や認知症につながる後遺症が指摘されています。


 現況は変異株がまた別の変異株を招く事態です。それに対応するワクチンかどうか。しかも今、接種するワクチンの有効期間は半年程度といいます。


 それでは、全体の一回目が終わらないうちに、二回目を受けたの人医療関係者や一部の高齢者の有効期間が切れてしまう。いったい、どういうことになるのか。受ける、切れる。受ける、切れるの無限サイクルにはまってしまいそう。このサイクルを止めるのは、完全終息しかないじゃないのか。


 既往症もしくは基礎疾患がある者、つまり、ぼくのように高血圧気味で、左目が網膜中心動脈が血栓のため失明した者にとって、後遺症の血栓症というのは聞き捨てならない副作用です。


 今の医療水準では治療方法がない眼の閉塞症なので、ワクチン接種で血栓が起きるとなれば、生きている右目があぶない。この疑念が解消されなければ、ぼくは接種を遠慮したいと思います。


 だいたい一斉にワクチン予防接種というのは、集団免疫にして、社会なり組織なりを防衛するための優先措置ですから、その運用ミスや副作用によって、若干の犠牲者がでることは織り込みずみなのです。


 口には出して言いませんが、専門家はそう思っているはずです。それは、ポリオ(小児麻痺)やお多福かぜの予防接種でも、そうでした。ぼくは、若干の犠牲者の中に入りたくない。


 子宮頸がんの予防接種では、女の子たちに重大な副作用が現れました。因果関係を否定する医師がいますが、のちに厚労省は「積極的な勧奨は差し控えます」(H25年6月、厚労省専門会議)と後退し、「有効性とリスクを理解してください」と言っています。


 無責任な話です。こうした専門的な問題について「有効性とリスク」の知見を持てる国民がいったい何人いることか。


 ワクチン接種のせいで亡くなれば、4320万円の補償を行うと厚労大臣は語っていますが。おそらく、ああだ、こうだの相関性に屁理屈を述べて逃げるにちがいありません。


 コロナ禍が起きて、アベノマスクがマレーシアや中国から、ワクチンが米英独から輸入するしか間に合わないように、この国は、とうに先進諸国が保持する医療水準に届かなくなっています。


 国民の命と暮らしを守るという口先だけで、アベスカ・コンビで本気で取り組んできた、この数年、官製株高と軍事力増強だけと言って過言ではありません。二度にわたる消費税の増税理由は、そっくり社会保障に回すということでしたが、ほとんどは大企業の法人税の引き下げや防衛装備の購入などに使われています。


 寄せては返す波のように繰り返すコロナ禍の大波を食い止めるのは、この国独自の解決策はなく、先進諸国から届く月光仮面か、スーパーマン待ちではないかな。


 自粛と解除を繰る返すだけの無為無策。コロナ対策は、コロナのトリオ担当大臣や「散髪代18420円」と伝えられるスカ総理のバーコード頭を見ていたら、そんな気がしてきます。


 そのうち、長引くコロナ禍に耐えられなくなって「コロナ自殺」する犠牲者が出たり、怒り狂ったはてに「コロナテロ」を起こすヤツが現れるかもしれません。


 なかでも、「大和魂」で頑張り通せば、やがて”神風”がコロナウイルスを吹き飛ばしてくれる。全員、皇居に向かって遥拝しよう、、、などいうウルトラ右翼狂信者が現れる気がします。


 笑いごとではありません。わずか75年前の、先の大戦では、国民全部が、そう信じさせられて”必勝””を「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」祈願したのです。だが、開戦の責任はだれも取らずじまいです。コロナ禍の迷走政策も、たぶん誰も責任を取らないでしよう。皮肉なことに、スカのいう「自助」でしか身を守れませんね。

×

非ログインユーザーとして返信する