退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

友人の訃報

 山歩きの仲間だった同世代の友人が亡くなりました。
この訃報は痛い。がっくり, たまらなく、寂しく残念ですね。


 交友関係というのは、旬がありますね。仕事を離れてからは、職場の先輩同輩後輩たちと急速に疎遠になりましたが、入れ替わって増えたのは、山歩きの仲間でした。毎週のようにあちこちの山をともにし、下山後は反省会と称して一杯かわして歓談、次の山行の予定を話し合ったものです。体が弱り、山歩きが難しくなりますと、パソコン勉強会のおじさん、おばさんたちの友人がたくさん増えています。


 亡くなった友人は、こちらのような中高年からの新参者とちがって、学生時代の山岳部出身で、本格的な登山に打ち込んでいたベテラン。北アルプスの岩場をクライミングする技術も手慣れており、登山者として一枚も二枚も上手の人物でした。ふだんは物静かでした。奥さんも山好き、ご夫婦そろって熱心なタイガースファンなのも息が合いました。


 山歩きは、国内だけでなく、海外にも足を伸ばし、カムチャッカ半島とか、ボルネオ島、中国の奥地、ネパールなどにも出かけ、似たような経験がある当方とよく話しが合いました。


 ネパールの豆料理が旨かったと言って、大阪市内のネパールレストランを一緒に探して食べに行ったこともありました。シェルパたちが、事あるごとに歌い踊る民謡「レッサン・フィリリ」をCDにして贈ってくれたこともありました。沖縄の人のように楽しく手踊りする曲です。


 紀伊山地を東西の横断する果無(はてなし)山脈を山麓の温泉地で前泊して、1000メートル前後の頂と尾根が続く歩いたのも懐かしい思い出です。山また山の雑木林のなかを黙々と歩いて、果無峠から遠くの下界に熊野本宮大社の大鳥居を一緒に眺めたものです。はてなし、という語感から、山歩きにはキリがないねとか、前途に荒寥感を覚えたりするねと話したものです。山歩きの友人が一人二人と先を急がれるのが悔やまれます。


 ネパールでは、シェルパが、登山が安全に終わると、それを祝って「カタ」という白いシルクのマフラー状の布を首にかけてくれました。終始、山を楽しみ、安全だった友人は、いまごろ旅立った先でカタを首に巻いて、笑っているような気がします。合掌です。

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