退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

映画「プラン75」

 
「75才になれば、自分の死を選べる」という法律が可決されました。



                 (google画像検索から引用しました)



 この映画は、そんな「高齢者安楽死OK」という制度設計ができたとする日本で、一人暮らし、高齢を理由にホテル清掃員をクビになり、職探しは次々と断られ、無職になった78才女性(倍賞千恵子役)の晩年を描いた作品です。 
                                  (アマゾンプライムで鑑賞


 長寿国日本が、いま、団塊の世代だけでも約800万人(74-76才)という大集団を迎えて、社会保障や福祉、医療、介護など財源問題とも絡めて、国レベルの運営をどうするか。高齢者ひとりひとりも、どう生きるかが、大きな課題となっています。したがって、この架空の設定には、大きな意味があります。一石を投じる問題作と言えるでしよう。


 映画そのものは、題材に合わせたのか、暗い色調で終始。ほかの高齢者男性のケース紹介があったり、雑務整理をする出稼ぎフィリピン女性の挿話があったりして、場面転換が唐突複雑、決して見やすい映画とは言えないでしょうが、倍賞千恵子の深いシワ、困り果てた年寄りの演技は確かなものでした。


 結局、78才女性は、合法的に死を選ぶことに決めて、猶予期間に自由に使ってよい10万円を役所からもらって、特上のウナギを食べたと弾んだ声で話したり、ボウリングでストライクを決めて、活き活きと喜んだあと、永遠の眠りにつくべく、しかるべき病棟で有毒マスクをつけてベッドに横たわります。


 しかし、何事かにつかれたように、ふと、起き上がり、そのまま”脱走”してしまいます。なにか新しい明るい道が開けたわけではありません。この先、どうするか、未解決のまま、映画は終わります。


 長く後期高齢者をやってるぼくには、いろいろと考えさせられる映画に違いありませんが、「安楽死OK」の社会が現実に来ると、どうするかな。幸い低空飛行ながら健康だし、年金受給者なので、その日の食事に困窮するという境遇ではありません。


 そこそこ生きている愉しみもありますから、「安楽死」を選ぶことはないだろう。もっとも、寝起きするのも具合が悪いというような病気にでもなれば、十分長生きしましたので、その道を選ぶかもしれません。要するに、ちょっとしたことで揺れ動く世代であります。


 この意欲的な作品が、早川千絵監督の最初の長編だそうですが、映画をみたあとの感想としては、早川監督に、ぜひ続編を撮ってほしいと思いました。


 主役は倍賞千恵子として、流行のおしゃれをして、タワマンから車で出かけ、友達とランチ、そのあとヨガ通い、明日は娘二人の家族がやってきて孫ら三代家族のパーティー、、、といった境遇の78才女性なら、「プラン75」と、どう向かい合うのか。どんな背景や人間的な苦悩があると、富裕層の人は「プラン75」を選ぶのだろうか。それは、どういう映画になるのかなという興味があります。


 というのは、「プラン75」社会を受け入れる人たちは、おそらく生活困窮の社会的弱者・病者が多くなるだろうと想像できるからです。「貧乏人は10万円もらって死ね」、「それがお国のためだ」となるに違いないと思えます。こうした動向が蔓延すれば、これは一種の社会的な選別、つまり優性思想につながってしまいますのではないかと想像します。


 貧乏人も裕福な人も、人生の最晩年を品性を保って生きるかは、永遠の課題です。「高齢者は集団自殺、集団切腹させろ」などと冷酷で、論外な提案を大学助教がTVで語る時代です。

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