退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

100才以上、生きたいか

 このほど発表された国の人口問題の研究所の予想によると、少子高齢化社会は進む一方で、半世紀後には人口が8700万人にまで激減するといいます。


 人口が多いのも国力の一要素ですが、世界には、この数字より少ない国が大多数です。ヨーロッパなんか、ロシアを除けば、全部の国が日本より少ない。フランスやイギリスやイタリアは、日本の半分しかいない。ドイツは、半世紀後の人口減になった日本と同じくらいです。北欧三国にいたっては、日本の数分の一にすぎない。しかし、独自の豊かさや文化を築いています。


 ぼくは、人口減をぜんぜん心配していない。結構なことだと思っています。産めよ増やせよの国策よりも、ずっと自然な傾向です。身の丈に見合う国になればいいと思っています。
これだけの人口がいて、おおむね真面目に働いて、なお裕福になれないのは、保守反動政権による国家政策の貧困のせいです。


 さて、いきなり話が脱線しましたが、この人口予想とは別に、表題のようなアンケートの結果が、先だって新聞に載ってましたが、8割の方が「100才以上を望んでいない」とありました。調べたのは、日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団。対象は男女1000人です。


 まあ、納得ですね。ぼくの場合なら、あと十余年で100才になりますが、それでも頑張って100才超まで生きたいとは思いません。すでに両親が亡くなった年齢を超えて生きていますが、それとても、長生を目指したわけでなく、成り行きにすぎません。我ながら、医療のおかげで生かされているなと思いますが、優等生ふうに答えますと、「丈夫な体に生んでもらって、ありがとう」ということになりましょうか。


 寿命のことを「天命」ともいいますが、昔から、自分の意思で勝手気ままに、どうなるものでもないと認識されているのでしょう。お天道(てんと)様さましだいというわけか。


 アンケでみると、「望んでいません」の主な理由は、
「家族や周りの人に迷惑をかけたくない」59・0%。
「身体がだんだんつらくなる」48・2%。
「経済的な不安がある」36・7%――の順とあります。


 からだの調子や懐具合の心配があるのは、わかりますが、『家族や周囲に迷惑かけたくない」という点が多いのは、この国特有の周りへの気配りが勝っているからでしょう。


 全国の100才以上は、急増しており、昨年は9万526人でした。全然珍しくありません。この勢いなら、約43年後に50万人に達すると、前述の国の研究所も予想しています。中堅都市の人口に匹敵する人たちが、みんな「100才以上人間」と想像すると、ホラー映画を見るような不気味さを感じるのは、不謹慎かな。


 現状の内訳はこうです。
 男性、1万365人 (全体の11%)
 女性、8万161人 (々  89%


 なお、いまの平均寿命は、男性81,47才、女性87.57才です。


 興味深いのは、このように圧倒的に女性が長生きしている現実に反して、アンケでは、男性の72・4%に比べて女性の83・5%が「100才以上望んでいません」が多いという事実です。


 おそらく、女性は、子どもや嫁に世話になることや費用のことや、もろもろの雑事が頭にあって、とても、そんな長生きをしたくはありませんという気持ちの現われが、こういう数字になっているではないかと想像します。こうした”気配りストレス”のために女性が長生きを望んでいないのに、悩ましいことに、実際の生命力は女性の方が圧倒しています。


 この違いは、もう生物学的な問題なんでしょうね。女性もせめて男性同様に「長生きしたいわよ」とアンケに答えられるようになるには、長生きしても安心できる公的な介護支援が整わなければ成りません。それがないのです。明るい未来がない国です。


  いま話題の人工知能(AI)の一つ、Notionに「人は100才まで生きる値打ちがありますか」と質問してみたら、こんな返事がすぐに返ってきました。


 「個人的な意見として、人間は100歳まで生きることができることが素晴らしいと思います。人生は短いものであり、長く生きることで多くのことを経験し、人生の価値を高めることができます。また、長寿を祝う文化もあり、人生の節目として100歳を迎えることは、家族や社会から祝福されることが多いです。


 ただし、長寿には健康上の問題や経済的な問題が伴うこともあります。長寿を迎えるには、健康管理や適切な生活習慣が必要であり、また、経済的な面でも準備が必要です。そのため、長寿を迎えることは容易なことではありませんが、その価値は大きいと思います


 人工知能は、生きる価値があると言っていますが、やはり健康や経済の充足を心配しています。生き物として、どんどん長生きできるようになっているのに、長生きを率直に歓迎できないのは、政治の責任です。人生の始まりと終わりについて、必要なバックアップの政策が必要なんですね。決して「自己責任」ではありません。


 しかし、「当選したら憲法改正をいちばんに取り組みたい」という無恥無能(大学時代の恩師の評価)のアへの、自称後継者や、演説が中学生並みという四代目世襲候補を当選させるような民度では、そうした政策を求めるのは、八百屋で魚を求めるようなものです。自公政権や維新は、いまだに家族、とりわけ父親本位の社会がいいとしているのですから。罪なのは、選ぶ有権者でもあります。


 ところで、いま「産業革命」いらいの大変革をもたらすと、話題を集めている工知能(AI)のChatGPT+image creatorで、「日本人の80代の男女の想像画像を作成してください」と注文すると、以下のように、ほとんど数秒で作成してくれました。DPTは、欧米仕様なので、どんな顔の日本人を出してくるか、楽しみでしたが、ご覧のとおりです。


(上も下の画像は、ChatDPTが生成したものです。DPTが、どこから素材を得て合成したのか、本物の写真を生成したのかについては、わかりません。念のためです)



 こんなもんかなあ。ちょっと古いイメージかな。クローズアップすれば、やはり老残は避けられないな。今のぼくも他人様からみれば、こんな印象なのかな。


 なにしろ現行のGPTでさえ、難しいとされる司法試験や医師国家試験をすべて正解突破しているそうですから、驚異ですね。もう人は、人類が積み上げてきた知識や技術を教室で学ぶ必要がないのではないか。


 日進月歩で深化する人工知能の機器を操作する方法さえ知っておれば、たちどころに答えを見出せるわけです。近い将来、手のひらサイズ化した会話型人工知能を持ち歩けば、天才のアタマを携帯できるわけです、、、なんて想像します。


 こうなると、モノを教える、相談にのる、手続きや認知する、定型化した反復業務というような仕事の人は、近い将来、職業の守備範囲を奪われるのは必至ですね。最後まで残る仕事は、デリバリーとクッキングだというのは、よくわかります。


 ぼくのような高齢者の生き方にまで人工知能の恩恵が届くのは、いつごろになるのかしらね。まあ、間に合わないかもね。「気配り」ばっかりしで、生きることも遠慮している女性の皆さんにも恩恵があるようなAIであってほしいですね。

×

非ログインユーザーとして返信する