退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

続 山の遭難

    

    大阪・奈良府県境にある金剛山(1125m)には合計660回登りました,。隣の葛城山頂から」


 戦後ずっと登山は、まだマニヤックなスポーツで、山男たちは傲慢にして孤高、あるいは,泥臭く汗臭い独特の風情を持つ連中でした。山道具屋に行って、金剛山に行くというと、店員のお兄さんから、そんなとこ、登山といえるかいな、明らかにバカにされました。


 ヒマラヤや本場アルプスの「より高く、より困難」なところを目指すアルピニズムが,まだ盛んでした。ヒマラヤ登山が、国の威信をかけたビッグエベントで、山好きな総理大臣が「登山隊総隊長」に名を連ねることもありました。


 山男たちは、難しい岩壁、雪山でルートにチャレンジする意気込むにあふれていました。国内でも谷川岳は、その聖地であって岩場にルートを開く競争は過熱して、墜落死が続出、この山だけ800人超がなくなっています。魔の山とされていました。


 いきなり余談ですが、積雪期の登山と岩場のロック・クライミングも、一口で登山と言っていますが、全く別のスポーツと考えていいほど、熟練や技量が必要です。五輪に採用されたフリー・クライミングは、人工壁を早く登るなどのスポーツで、登山とは無関係です。 


 さて、そんな一部の山男の世界が、大衆登山に代わったのが、中高年者がどっと増えたからです。高度経済成長が一段落して、疲れきったおじさんたちが、緑濃い自然を求めたと解されています。今ふうに言えば、癒しでしょうか。


「挑戦登山」のアルピニズムの陰で、目立ちませんでしたが、自然の風物をめでたりして歩く「静観登山」が、逆に一般化したのです。


 いま、飲ん兵衛の吉田類さんが「百低山」と題して、ゆっくりのんびり歩く登山の様子がHNKで放映されています。あんなふうの山歩きを「静観登山」といって、がむしゃらアルピニズムと対比されています。


 中高年の後に、前にのべたように女性が進出し、カラフルなファッションが尾根や谷間にあふれてきました。女性で初のアルプス三大北壁を完登したアルピ二スト、医師、今井通子さんは、山で草や花などをめでるようなヤワな登山なんて思いもしなかったと、エッセイに書いていたのを覚えています。登山の流儀が変わったのです。


 というよりか、アルピニズムが頭打ちしたのです。ほとんどの世界の著名な山や壁に足跡がついてしまったのです。国内も前人未到の山なんて、とうに無くなりました。初挑戦、初登頂という栄冠の目標が消えてしまったわけです。いまは、そんな評価と関係なく、個人的な冒険や趣味の世界になっています。


 ところで、登山者が増えると、遭難も増えます。山に行くには、しっかりした底が堅い登山靴が必要です。スーニカーでは滑ります。凸凹の地形に耐えられません。足首を守るためにも登山靴は必須です。それにスーツタイプの雨具。汗を逃がし、雨滴を遮るゴアテックスがいい。防寒具にもなります。


 リュックは、行程に合わせた大小ものを選びます。靴、雨具、リュックの三点は、モノ入りですが、良質で利便性のいいものを選びたい。山歩きは、最初、道具類をそろえるので、ふところが痛みますが、揃えてしまえば、後は、お弁当と交通費くらいの出費ですから、比較的ラクな趣味ともいえるでしょう。


 山行は、「早や立ち、早や着き」が大切です。朝早く出発が鉄則です。今頃の季節では、山の中の夕暮れは意外に早くなってきます。午後3時ごろになると山の中はす暗くなります。空模様も変わりやすくなります。日帰りの登山でも油断しないことです。


 山行によってはヘッドライトや非常食の用意も必要です。非常食は、何事もなければ持ち帰るもので、行動食とは違います。行動食は、弁当のほか、歩きながらでも食べれるチョコやアメ、ナッツなどを指します。水は、言うまでもなく必携です。ゴミは持ち帰りです。


 登山の前に登山届けを出すことがすすめられていますが、日帰りの低山では、登山届を出すようなシステムがないのが現状です。登山届は、遭難や行方不明になったときの捜索に役立ちますが、当然ながら遭難を防ぐものではありません。事前に登山コースをガイドブックや地図上でチェックしたいものです。


 今なら、ほとんどの山についてネット上に個人の山行報告がのっていますので、それを参考にするのもいいのです。地図や高低差まで載っている詳細な報告もなかにはあって、大変役立ちます。


 『山と渓谷』や『岳人』といった古くからの山岳専門雑誌が、ビジネスで苦戦しているのは、ネット上で簡単に得られる情報が増えたせいだと、思います。登山グループが集合場所でコピーを配布したりするのが、当然のようになっています。


 そうした情報収集は大切です。加えて、携帯がほとんどの山や谷でも通じるようになりました。これは山中深く入ったときには、威力を発揮します。ただ、以前なら登山者が努力して堪えて抜け出したような事例でも、安易にヘルプを求めたりする傾向があるようで、警察の救助隊を困らしているそうです。


 遭難騒ぎを起こすと、警察の山岳警備隊やヘリコプターが出動します。これらの費用は、街中の救急車同様にタダですが、(埼玉県では条例で有料になるケースもあるそうです)捜索に民間の地元消防団や臨時の民間グループが加わりますと、その費用は遭難者の負担になります。遭難者が要請しない場合でも費用を要求されます。


 ヘリが一時間飛ぶと、約50万円、民間の救助隊員の日当は、一人当たり3-5万円、ほかに宿泊費、食糧費、保険代など負担します。雪山だと、もっと高くなります。二次災害の危険があるからです。10~20人の民間人が、何日間も出動しますと、本人または残された家族は、一財産吹っ飛ぶと言われています。


 亡くなる場所によっては、二次遭難を避けるため、遺体をぐるぐる巻きにして急坂を転がして運ぶので、遺体はぐちゃちゃになることも。真夏だと、数日で遺体にウジがいっぱいわくと警備隊から聞いたことがあります。山の遭難は決して美化しないことです。


 笑い話ですが、遭難しないいちばんの方法は、山に行かないことです。でも、山歩きには他に代えがたい心身の充実感があります。その魅力に取りつかれますと、あとは、リスクを避ける努力、つまり知識を深めたり、体力維持に努めたり、山岳保険(保障の対象は、遭難の事例別、ケガ多岐にわたります)を掛けておくとか、よいリーダーとともに行くなど、冷静な対応が必要です。


 夏山シーズンだけでなく、遭難者はいつでも発生して、ここ十数年来、年間なら300人前後が不幸に見舞われています。重軽傷は、数知れません。山歩きが、もっとみんなに親しまれるスポーツになるためには、このリスクを少なくする努力が登山者自身にもあります。


 ぼくの場合、冒頭の写真の説明にありますように、最初のころは、金剛山をホームグランドの山ときめて、時間さえあれば、四季をとわず、雨でも雪でも歩きました。低山でも登山コースはいくつもあり、山頂を目指すほか、和歌山県側まで縦走するなどしましたから、もうどこに木株、石、岩があるなど熟知できました。夢中で歩くと雑事のあれこれを忘れたり、メランコリーが消えていたり、なんだかわからない自信が付いたり。意外にもメンタルな面で効用があるものです


 遭難リスクの話と矛盾して、申しわけないことですが、性分のせいで、たいてい一人歩きです。独りでブナの林や樹氷を眺めたり、息遣い荒く山道を登っているとき、山歩きの醍醐味を感じました。ある時期から、それと並行して劔岳、槍ヶ岳、奥穂高岳など南北アルプスの高山を目指し、さらに国内にない4000m級の山を目指して海外へも山靴を運びました。


 いまとなっては、たくさんの山歩きの悲喜こもごもの思い出は、楽しい記憶となって甦ります。秋の夜長にアルコールの酔いとともに、歩いた山々を懐かしむ時間がもてるのは、まあ、幸せといえるでしょうね。


  山歩きは、無事帰宅するまで、山歩きです。
  気をつけよう、汚染水と自公維!

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