退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

山の遭難

     

     (雪におおわれたエヴェレストを背景に仏舎利塔が並びます。ネパールで)


 山はいいものです。四季それぞれに大気は澄んですがすがしく、心と体がよみがえるような爽快感を得られます。しかし、残念なことに、山に魅せられた人たちの遭難事故が絶えません。


 今季の夏山シーズン(7-8月)で過去最高の遭難者を記録したとありました。先ごろの警察庁発表では、死者・不明者は61人でした。けが人はもっと多くいたはずです。好きな山で亡くなるのは本望だとうそぶく山男が、昔はいましたが、はた迷惑な話ですね。


 とはいっても、ぼくも山で二度死んでいたでしょう。ご迷惑をかける寸前まで行きました。主に退職してから山歩きに没頭しました。一度はロシアの雪山の長い長い斜面でスリップ、二メートルほど尻もちをついて滑りました。後方にいた仲間が止めてくれましたが、そうでなかったら、奈落の谷まで滑落したでしょう。もちろん、即死でしょう。アイゼン(滑り止めの金属の爪があり、靴につける)での雪山歩きが未熟でした。


 もう一度は、南アルプスで、未明から3000メートル級の山を二つ縦走して、夕暮れに宿泊する山小屋に向かう途中、ガス(霧)が垂れ込めて視界不良なりました。疲れ果てていましたが、このままでビバーク(野営)しなければならないので、それを避けるため、山頂の無人小屋へ引き返そうと、重い足を運んでいたとき、うまい具合にガスが流れ出して、その隙間,後方のずっと先に目指す宿泊小屋の青い屋根を見つけて、助かりました。その夜から翌日は小屋の屋根を打つ猛烈な風雨でした。疲労凍死を免れた思いです。体力を上まわる行程、天候の急変を理解していなかったのです。


 山は、大きな自然の中にいるので、危険とは表裏一体の環境です。つい先だって、登山家、野口健さん(50)が、ネパールのマナスル登山中に肺水腫になり、ヘリで救助、一命をとりとめたというニュースがありました。「テントのなかで溺死しかけた」と高山病の恐ろしさを語っています。植村直巳さんをはじめ、名の知れた登山家の多くが、山で亡くなっています。


 ぼくが山歩き始めたときころは中高年登山の黎明期で、そのあと山ガールに象徴される「誰でも登山」の時代に代わって生きました。戦前から登山コースで茶屋を経営していたおばさんが「山は変わり者の男の世界。こんなに女が山登りする時代がくるなんて、予想もしなかった」と驚く話を聞いたことがあります。


 その頃から変わらないのは、登山者増と比例するかのように遭難が増える傾向です。一向に減りません。山を楽しむのは、同好者として、うれしいのですが、楽しみの裏にある山の危険性については、なかなか理解されないようです。


 国内での遭難者の過半数は、いわゆる中高年層です。登山は、心身をさわやかにしてくれるスポーツですが、他の競技スポーツと根本的に異なるのは、他人と競うことなく、自然な天候、地形、高度がある場所を「基本的に自力で登る」ことにあります。


 距離や時間を争うスポーツでありません。夏山遭難のデータのように2カ月で61人も死亡・行方不明者が出るスポーツは, 他にありません。もしあれば、たぶん、そのスポーツは活動禁止になるでしょう。


 ですから、登山は国際五輪委員会から一度誘われたことがありますが、五輪競技にも参加していません。各種スポーツのなかで唯一、国立の研究所(文科省、富山県・立山山麓)がある特殊なスポーツです。


 国内での登山は、冬山と一部の岩壁を除けば、もう前人未到の山はありません。どの山も登山コースがついています。つまり、歩いて登れます。にもかかわらず、遭難者が絶えないのは、登山者の体力・知識、装備の不備、雨風など天候の急変、それらをひっくるめた総合的な判断力の差にあります。いくら歩いて登れるといっても、ハイキングクラスの山と南北アルプスなどとは、同じではありません。


                        

                          (google画像検索から引用しました。2022年までの過去10年間の
        遭難者の原因=JRO調べ)



 遭難する原因にいちばん多いのは、道迷いです。繁茂した樹木や斜面の変化で登山コースを外してしまうことです。動転すると、斜面を下へ下へと下り、谷壁などで立ち往生します。ぐるぐる歩き回って疲労困憊してしまいます。道迷いと悟ったら、元の来た道をたどる、一歩でも上を目指すのが原則です。


 二番目の多いのは、転落、滑落です。前方不注意のまま、漫然と歩くと地形の凹凸にひっかけてつまづいたり、バランスを欠いたり、狭い尾根筋を踏み外します。体力以上のコース歩きで疲れたり、風雨にさらされたりすると、余計に危険です。


 次いで多いのは、病気発症です。中高年ともなると、たいてい一病抱えているものですが、それを無視した長丁場の行程であったり、日常では必要がない頑張りをした結果、持病が悪化したり、潜在的な病気を誘発したりして、動けなくなるケースもあります。達者自慢と後で述べます「山歩き再開組」は、用心しなければなりません。


 中高年層になって、はじめて山歩きにはまると、十分な山の知識や歩き方のスキルのないまま、気持ちばかりが先行して、危険と向き合います。一方、若い時、山歩きを山岳部やワンダ―フォーゲル部などで楽しんだ人が、中高年になって再開するケースも、アブナイケースです。昔とった杵柄が忘れられず、体力やスキルが年相応に衰えていることを自覚しない人が少なくなく、遭難予備軍となるといわれております。


 何しろ、国立登山研究所が主宰した雪山登山で、参加者が転落、犠牲になったことがあるほど、山は熟練者を問わず、登山者を”いけにえ”にしたっがっている魔物の一面があります。そのことを肝に銘じて、楽しい山歩きをしたものです。


  次回も、,続、山の遭難を書きます。

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