退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

国民を守らない自衛隊

ウクライナに続いて、イスラエルでも戦火があがりました。で、思うことを書きます。


「戦争はしない」
「陸海空軍の戦力は、これを持たない」


 わが国は、人類の究極の理想につながる立派な憲法を持っていながら、どんどん軍備を増強し、いつでもアメリカ軍とともに海外での戦争をやれる、という信じられないところまできています。日本政府は憲法解釈を変えてしまいました。


 国家には、他からの侵略などに備えて「自衛権」があります。国際法でも認められています。個人レベルで言えば、夜道で襲われたら、暴漢をやっつける権利があります。しかし,ただ怪しいヤツだから、やっつけるというのは、行き過ぎです。自衛権は、あくまでも他からの攻撃があった場合に限られています。自衛隊には交戦権はありませんでした。


 憲法上で戦力を放棄した日本は、歴代自民党政権があれこれ思案して、将来の自衛権の行使のためなら「必要最小限度」の武力を持つのは、合法だと解釈するようになります。ここまでなら、まあ、許容範囲です。


 いうまでもなく、専守防衛です。他国からの攻撃、侵略に備えてであって、海外にまで出かけて武力を発揮することは禁じられていました。そのタブーを、あのアへが破りました。アへは、ご承知のように無能でしたが、天皇を中心とした軍事大国こそ世界の強国だという夢去りぬ戦前回帰派の手のひらにありました。


 このタブーを破ったことは、憲法違反です。歴代の自民党政権は、制約のある自衛隊を正式な軍隊にしたくて速い時期からウズウズしているところへ、アへが集団的自衛権の容認と行使(例えばアメリカの戦争を日本の脅威をとらえ、アメリカとともに参戦する)を認める閣議決定をしましたので、ますます自衛隊の合憲性を問うのは論外となりました。


 自民党の改憲案の一つは、この違反状態を合法化するのが、狙いです。つまり、大きくなった足に、好みの軍靴を合わせたいのです。


 日本は「戦争をしない経済大国」という見方は、ある程度、国際社会で認識された評価でした。しかし、その日本を見る目が、だんだん不信の目で見られています。再び、あの横暴極まる軍事大国になることをアジア諸国は、とくに警戒的です。今や日本は世界ので193ヵ国(国連加盟国)のなかで米中露につぐ4番目の軍事大国です。仏独伊を抜いています。


 キシダメ政権は、軍事費を倍増する計画を立てて、それを支える財源に種々の名目で増税を意図しています。そこで問いかけたい。ここからが本題です。前置きが長くて、すみません。


 国家予算から巨額の税金を食う自衛隊は、その代償として、どこまで国民を守ってくれるのか。いざとなると、全身全霊でもって国民の安全を守ってくれるのか。たいへんに気にかかることです。平時なのに、いつも迷彩服を着ている自衛隊員を見ると、自然に浮かぶ疑問です。


 しかし、その回答は、多くの国民の期待を裏切ると思います。そもそも自衛隊は国民を守らないのです。そのように法律は作られています。えっ、そんなバカな! そう思う人がほとんどでしょう。でも、そうなんです。


 元防衛庁(防衛省の前身)の統合幕僚会議議長だった栗栖弘臣さんが著書『日本国防軍を創設せよ』(小学館文庫 2000年)で言及しています。ちなみに統合幕僚会議議長というのは、陸海空の3自衛隊をまとめるトップの役職で、現在は統合幕僚長と改名されています。


今でも自衛隊は国民の生命、財産を守るものだと誤解している人が多い。しかし国民の生命、身体、財産を守るのは警察の使命(警察法)であって武装集団たる自衛隊の任務でない」(この文言、毎日新聞9月29日付け夕刊「安倍氏国葬1年 佐高信さんと検証」から引用)


 自衛隊は国民を守らない。そんなバカな、本当かな、と思う方が多いでしょうが、自衛隊法を調べると、こうあります。


(自衛隊の任務)
 第三条 自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。


 どうですか、自衛隊は国民の安全を守るとは、自衛隊法のどこにも書いていません。自衛隊のエライ人が、そういうのですから、末端の隊員もそう教えられているはずです。そこで、警察法に当たってみると、こうあります。


第二条 警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。


 栗栖弘臣さんが言うとうり、自衛隊は国民を守らず、守るのは警察の役割と分担されています。では,では、自衛隊は、何を守るのか。先に記した任務に書いてあるように「国の平和と独立」です。具体的に書いてありませんが、察するに領土,領海、領空を守ることが、守るべき平和だと言っているようです。


 危機に際し、自衛隊がわれわれを守ってくれると信じて、軍事費の増強もやむなしと考えている人、国防のためなら仕方がないと思う人たちは、とんでもない誤解をしていることになります。自衛隊は、国民の皆さんの生命なんか, ある意味、どうでもいいんです。守らないのです。せっせと税金払っても、守ってもらえない!


 旧大日本帝国陸海軍が、本土や戦地で国民を守らなかったことは、よく知られています。沖縄戦では、壕に隠れた兵隊が、泣く子がうるさいからと母親に子ども連れて外へ出ろ、と怒鳴ったり、サイパン島や硫黄島で民間人にも自決を迫ったり、本土でも軍人以外の民間人を「地方人」と呼んで見下しました。悲惨で冷酷な軍人の蛮行は数え切れぬ程ありました。
先の大戦で軍人軍属のほか、非戦闘員、つまり一般国民は70万人亡くなっています。守られなった人たちです。


 戦前戦中の軍国主義奨励のために、こんな歌がつくられ、流行しました。
 『兵隊さんよありがとう』  (昭和14年)
  (皇軍将士に感謝の歌)


肩をならべて兄さんと
 今日も学校へ行けるのは
  兵隊さんのおかげです
   お国のために
    お国のために戦った
     兵隊さんのおかげです


     兵隊さんよありがとう
     兵隊さんよありがとう


  この歌は、懸賞募集の入選歌です。当時の国民は、この歌詞にあることを信じていたのでしょう。兵隊さんは国民を守るために戦っていると思っていたはずですが、軍隊というものは、それ自体が縦横に自己膨張を図る組織で、作家,司馬遼太郎によれば「国家の用心棒」だったはずが、「用心棒の国家」になってしまったのが、戦前の軍隊です。国民を守る気がはじめからなかったのです。


 そして、今の自衛隊法も、国民を守ると信じているなら、それは誤解だと、自衛隊トップだった人物が断言し、法律もそうなっています。


 戦争を始めることを決断した時の政治体制を守るのが軍隊の本質です。仮に最高司令官のキシダメが、開戦を表明したら、自衛隊は、この最高司令官が率いる国家の体制を守るために戦闘に入るわけです。支持率25%足らずのキシダメの判断で国民全員が戦争に巻き込まれるわけで、こんな不合理なことはありません。


いま紛争中の ウクライナ戦争、イスラエルとパレスチナ・ハマスの戦闘を見ても、第一に守るべきは、時の政府、その指導者にあることがはっきりしています。(国民がバタバタ死のうと)指導者は、闘う決意を鼓舞するだけです。


 自衛隊が、国民の安全を度外視して、国の平和と独立を守るという考えが成り立つと考えられていることが異状ですが、異状なのが軍隊の本質です。戦前の軍隊は、「天皇の軍隊」で、兵隊は皇軍の一員ですから、天皇を守るための戦争でした。時代が変わり「主権在民」の憲法下、自衛隊は国民の”軍隊”のはずですが、法律は、そのことを掲げていません。


 ミサイル同士が相互に飛び交い、双方に遺体がごろごろ転がり、街が瓦解して、焼け野原になる現代の戦争です。国民を守らない自衛隊の出る幕が決してないように、緊密な話し合い、外交努力が求められています。改めて強調したいことは、どんな正義の理由があるにしても、戦争はダメだということです。


 何としても、平和の話し合いをする政府が必要です。が、自公維国は、中国、北朝鮮を仮想敵国としで、むやみに敵愾心や憎悪を煽っていて、臨戦態勢に前のめりです。こんな危険なことはない。、
    
 ウクライナ、イスラエル、火種がつきない。ざわめく世界にあって、キシダメのようなアメリカの尻馬に乗るリーダーでは心もとない。台湾有事を煽るアソウ、ハギウダら自民党に政府を任すと、安全安心を望む国民は踏みにじられます。


 永遠の平和を希求する日本の国家目的に合わない、返品ものです。自衛隊の任務である「平和と独立を守る」ことは、同時に政府の本来任務です。それを目指す政権に取り換える選択が必要です。


   気をつけよう、汚染水と自公維国!!

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