退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

辞めました

  月2回、公民館で開くパソコンの勉強会を、このほど辞めました。
 理由は簡単ですが、気持ちは複雑です。何しろ20年余、続けたのですから。


 勉強会のあと、輪番で担当者が、その報告をブログにアップすることになっています。今回、担当しましたので、報告をまとめて、アップしようとしたら、なんと、どうしてもアップする方法が思い出せないのです。


 物忘れ、ど忘れは、しょっちゅう起きます。そのまま忘れ去るケースも少なくないのですが、ずっとあとに場所や時間を問わず、不意に思い出せたことが多いので、アップの方法も、そのうち思い出せるだろうとタカをくくっていたら、二週間たっても、まるっきり記憶が甦らなかったのです。次の勉強会までに間に合わない。


 むかしふうに言えば、耄碌(もうろく)が進んでいるのです。それを痛いほど自覚しました。自分ではトシだから、と気持ちのうえで言い訳めいた気分もないではないですが、まあ、一方では、まだまだ大丈夫という根拠のない自信もありました。しかし、見事に忘れてしまったことを認めざるを得ません。


 勉強会の方も、日進月歩の世界で、次々と新しいスキルが開発されていますので、ついてゆくのが大変になっていました。何を学ぶかといいますと、各自の趣味、体験などを自前でホームページをつくり、世間に公開することです。構想し、デザインを決め、文章や画像やイラストを用意し、プログラム言語と称する呪文のようなアルファベットをパソコンに書きます。


 イモ虫のような文字列が、一瞬にして、色鮮やかカラーの蝶に変わります。ところが、思い描いたような画面にならないことが多い。このシコシコ打ちこむという作業が、しんどいけれど面白い。手作り感を伴う喜びや達成感があります。文字列の作り方は、常に進歩というか変化して行きますので、これで学習は終わり、という訳に行きません。


 女性の先生は、年配者が多い受講生のために、繰り返し同じことを教えてくれます。当然、パソコン操作を大型TVに映してですから、わかりやすいのですが、それでもアプリそのものが難しいところもあります。


 年配の方ならご存じでしょうが、パソコン登場のまえに、ワープロの時代が、短期間でしたが、ありました。もともと文字が下手くそで、その点にコンプレックスを持っていましたから、この文字書き専用の器械、ワープロが現れたのは、まさに福音でした。飛びつきましたね。


 あれ以来、手書きは、ほとんどしません。無機質に綺麗な文字が印刷できますので、見知らぬ他人にも気兼ねなく手紙や文書を送れるようになりました。ワープロのあとのパソコンも、当然、重宝しました。


 むかし、趣味の山歩きなんか、その都度パソコンで紀行文を書き溜めて、自分専用のホームページを見様見真似で立ち上げました。まだ個人HPの草分け時代でした。通っていたパソコン教室の紹介で、なんと、朝日新聞に苦労話が大きな記事になったことがありました。山関係の出版社、テレビ局から問い合わせがありました。番組にもいくつか出演しました。


 余談です。モノ忘れしたぼくがいうのも、なんですが、パソコンは、ボケ防止にも役立ちます。小学生でも習うパソコンですが、中高年のなかには学校で習う機会がなく、いまもってパソコンが苦手、パソコン難民がいますが、パソコンは、なかなかいい生涯の伴侶になりますよ。


 むかし、縁側で囲碁や将棋を指していた年配者が、いまはスマホやパソコンで一日遊んでいます。時局のことから趣味まで、おやっ?と思うことは、すぐ検索して調べます。あるいは、知らなかった世界を垣間見れます。YOUTUBEや映画など動画も見れますし、見る側だけでなく、少し習えば、自分のページをアップすることもできます、それは、ブログとはまた異なった楽しみですよ。家にいて楽しめる、文明の利器です(古いナ)。


 そんなこんなで、パソコンのスキルの勉強を長く続けました。ほかにIPADとスマホを持っていて、使い分けています。いまの先生は、同じ受講生仲間でした。どんどん独学を重ねてスキルに通暁し、ついに生徒から先生に転じた素晴らしい努力の女性です。そんな先生のもとですから、長く続いたのかもしれません。古参の受講生なので、ちょっとだけでも惜しまれながら辞めるのも、引き際でしょうね。


 
   気をつけよう、汚染水と自公維国!

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