退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

山の日

 四年まえにできた国民の祝日に「山の日」というのがあります。「海の日」が祝日なのに、なぜ山の日がないのか。


 山岳関係団体や自然保護団体の熱い運動の結果、制定されたのですが、その趣旨は「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」という平凡なもの。そうであれば「食の日」や「女性の日」を作り、祝日にしたら、と言いたくなるような、まっとうだが軽い感じ。一般からすれば、祝日が一つ増えて結構、結構くらいにしか受け入れられていないかも。


 制定運動に熱心だった日本山岳会の会員でもありますが、ぼくは、どちらかといえば、あまり乗り気ではありませんでした。治山治水は国土保全の要、山には産業に寄与する資源が豊富、観光資源でもありますので、直接の関係者が多く歓迎したようです。


 しかし、山歩き好きのぼくにすれば、こんな祝日を設けて、登山をことさらに奨励したかように勘違いされて、大勢の人々が山に押しかけてくるのは、困るなあという思いです。


 植村直巳さんがエベレスト登頂を目指したころのは高山難壁を登攀するアルピニズムが全盛でした。その後、深田久弥の著作『日本百名山』の影響からか大衆登山ブーム。我も我もとまるで巡礼のように一つ一つ登る中高年登山者が激増しました。ジャーナリスト、本多勝一は、登山は創造的な行為であって、他人の思い入れで決めた山をただ追いかける連中は、メダカの群れにすぎないと痛烈に批判しました。


 この国の山々は、管理が行き届かず、なんの制限もなく、ほとんど年中開放されています(富山と群馬では厳冬期の冬山登山規制条例がありますが)。今年のようにコロナ禍で富士山登山が禁止されたのは、珍しい例外です。


 大衆登山が生み出したのは、毎年大量の遭難死傷者と登山道の荒廃です。マナーを心得ない連中がゴミをばらまき、山の植栽とくに高山植物が荒らされ、清流が大腸菌で汚されます。山肌を削り、観光バスが行き交う道路やロープウエイが造成されました。


 かつてアジアの各国の山をかなり登りました。そこでの経験から言いますと、日本の山の自然は、行政がほったらかし。国会も票にならないからか、無関心のようです。毎年三百人近くが遭難死しています。


 韓国の最高峰、国立公園のハンラ山(1,936m)では、入山、下山時刻が制限されています。山腹にあるトイレは太陽電池で動く清潔な水洗便所でした。登山コースが複数整備されており、隔年交代で利用することで登山道の酷使を避けて自然を守っています。


 日本で二番目の世界遺産になった屋久島の宮之浦岳(1,936 m)。有名な縄文杉見物もかねて大勢が登りますが、登山道わきの木造のちゃちなトイレは、汚物があふれ腐臭が漂い、踏み場もありませんでした。


 マレーシアの最高峰、ボルネオ島の世界遺産、キナバル山(4095m)では国営の管理事務所があって、一日の登山者数は山頂近くの山小屋の収容数と同数の二百人足らずに限定されています。登山者は必ず地元のガイドを随行する仕組み。整備された登山道は途中、5か所の避難用のシェルターと給水場が設けてありました。三千メートルを超しても水洗便所でした。


 自然の大きな恵み、山に対するアジアの他の国では、地形の保全や生物の多様性を守りながら、登山者と共生するというような考えを見ることができます。ヒマラヤ山系に残る未知の山にリスクを背負って目指す登山者を否定しませんが、登山の世界はもう命がけのチャレンジ登山の時代は終わっていると思います。


 山頂からの大きな展望の楽しみ、たいていは頂上に祠があり山麓の寺院や人々の信仰の対象であったり、豊かな花や野鳥などの動植物を観察したり、地形地質や森や林の風物を詠ったり、絵画や文学や音楽に残されたり。登山がらみの文化は他のスポーツにはない広がりと歴史があります。


 辞めた後、内外の山をたくさん登りました。いずれも懐かしさをこめて何度も思いだしています。牛が反芻するように(笑)。ちょっとカッコつけて言えば、いい思い出がたくさんあるほど、晩年は幸せな時間に浸れます。折にふれて山歩きの話を書いてみます。

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