退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

孤独からの逃走

 「自粛せえ、自粛せえばっかしで 好きな将棋もやれん!寂しいね。こんなつまらないことにになるとは思ってもみいひんな」


 スポーツジムのふろ場で七十代らしきおっちゃんが嘆いていました。「会話は控えてください」」と大きな文字の張り紙が立ててありますが、おっちゃんは構わず大声で嘆いています。


 まったくコロナ禍は誰もが予期しなかった災厄だから、この人が、友人と好きなことをやれないと嘆く気持ちは、よく理解できます。穏やかな対人関係がうまくゆかないと不満が募ります。


 ただ、僭越ながら思ったことは、仲間と将棋がやれないから、寂しいと、あたり構わずネを上げるようでは、長い高齢者人生は渡れません。


 ぼくの経験では、高齢者になるというのは、社会的な関係や対人関係、身近な家族との関わり方について孤独に耐える、孤独が苦にならない心境にならなければ、長い老後はつとまりません。


 ぼくの場合、業績不振を社員の働きのせいにするアホらしい役員の演説を聞いて、55才で繰り上げ定年退職をしてから、どこの営利組織にも属さず、もう四半世紀も独りで暮らしています。


 連れ合いから、「なに言ってるの。私がなにもかも支えているじゃないですか」と意見されそうですが、ここで言ってる「独り」というのは、内心の問題です。


 退職して20数年にもなると、在社中の友人知人とはほぼ疎遠になりました。還暦を機に年賀状廃止を通知してからは、社外の人たちとも互いの消息が絶えました。鬼籍にはいったものも少なくない。ですから、日々、こんな状態です。


 もともと近所付き合いはしていないから三軒先の姓も知らない。一年、自治役員を輪番で務めたが、任期満了とともに、プッツン。一本の電話、一通の手紙も来ない日が続きます。月二回のPC教室以外では、連れ合いとしか話相手はいない、ほぼ無言の日々です。


 この欄のようなブログとは別の趣旨でもう一本のブログを書いているほか、趣味の山歩きのホームページに時々、拙文を書いたりしています。またDVD屋から借りたり、アマゾンプライムでしょっちゅう映画を見ています。あとは本を読んだり、熱帯魚を飼ったり。


 こんな具合です。なんの役にも立たない独り遊びの暇つぶし、気晴らしを重ねているだけです。それでも、そうしたことをしていますと、寂しいとか、孤独とかに取り込まれることはめったにありません。疎外感や寂寥感を持たないように努めなければ、高齢者暮らしはできません。これにとりつかれると、不機嫌、不平不満、うつ、あるいは独断偏向になりがちです。


 退職したら「空が青く見えた。さあ、これからだ」と気障なことを言った友人はなくなってしまった。ぼくは退職後は、外でやる趣味一つ、内でやれる趣味を一つ、二つと考えてやってきました。


 それが山歩きや野鳥観察、あるいはPCや魚や小鳥飼育ですが、体力がいる趣味は足腰の劣化とともに衰退しました。長い歳月、なかなか趣味くらいでやっていけるものではありません。


 ありがたいことに、多少、お酒が飲めるタチなので、晩酌は欠かしません。アルコールのおかげで心の安定を得ている部分もあります。飲めなければ、心身が崩壊したかもしれないときもありました。アルコールは、ぼくにとっては、時に導眠剤であり、鎮静剤であり、発奮剤でもあり続けています。まだ依存症とはおもっていません(笑)。
  
 医師で作家の鎌田實さんは、人生百年時代、晩年は”PPH”で暮らそうと言っています。ピンピンコロリの”PPK”ではなくて、ピンピンヒラリ、つまり,心身ともに健やかに暮らし、生死の境は「ひらり」と飛び越えよう、と提唱していますが、どんなものだろう。

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