退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

左利きの嘆き

 5歳のときから左利きになりました。
 車にはねられて、右手首などを複雑骨折。当時、疎開先の田舎に医者がおらず、柔道整骨のようなところに担ぎ込まれて、変形したまま固定化されてしまい、親指は曲がらず、手のひらが上に向かななくなり、いわゆるジャンケンのパーのカタチが取れなくなってしまった。


 当然、食べるために左手を使うようになり、箸使い、ボール投げ、手を差し出す動作はまず左手からとなりました。書き取りは右手で握り箸ならぬ握り鉛筆でへたくそな字しか書けなくなりました。ぼくの左利きは、生まれつきではなくて、後天的に身についたものです。


 むかしは家庭のしつけとなると、箸の持ち方、使い方は、その代表的なもので、左手でご飯を食べていると、じっと見つめて、「しつけができていない」、「親の顔がみたい」というような非難めいた表情になるおばさんたちが多くいました。


 右手で茶碗がちゃんと持てないので、食卓においたまま口を寄せていくときもあり、、、おばさんたちの表情は眉を顰める表情になり、子ども心に閉口しました。他人といっしょに食事するのは、苦行でしたね。おばさんたちは、なんで、ああまで呆れて憤るのか!、いまでも奇異に思っています。


 世の中は右手使いが多数派だから、右利きが有利に作られたモノや道具がほとんど。たとえば自販機の投入口、エレベターの押しボタン、エスカレターや階段、廊下の手すり、自動改札のカード挿入または、手かざし、車のエンジンキーの位置、それからハサミなども右利き優先です。ドアノブも右回しなので、とても面倒です。(左利き用のハサミをもっています)


 カウンターでの食事やラーメン食では左側の人と腕が擦れ合って困るし、会席などでは箸や茶碗やスプーンの位置をそっと逆向きの置き替えています。野球のグラブ、ゴルフのクラブも左利きはちょっと割高です。


 要するに世の中では少数派になるのは、好むと好まざるとに関わらず、損なんです。不便なんです。そして、もっと言えば、差別や排除の対象にもなりうるのです。


 いちばん肝心なことは、多数派は、自らの立場が当然であって少数派の境遇や気持ちになんの関心ももっていないことで、関心をもつ場合たいていは、おばさんたちのように多数派になるよう同調圧力をかけてくることです。


 かつて「レフトにもライト(権利)がある」と書いたところ、抗議の投書がきました。その主旨は「左利きを容認すると、社会の規律が乱れる」という暴論でしたが、投書の主はボーイスカウトの役員だと名乗っていました。


 ボーイスカウト内部の規律であれば、右利きをそろえる裁量を認めてもいいけど、「社会の規律」を持ち出すという発想は全体主義すぎて理解できない。ぼくは幼いときから制服を着る連中(職業人や有志団体)が大嫌いなのは、おそらく個人を尊重しない気風がはびこっていることに気が付いていたのだと思います。


 マイナスが多い左利きですが、野球やサッカー(左足使い)では有利です。左打者は一塁ベースに一歩近いですから、ヒットメーカーはだいたい左打ちです。ピッチャーでも球がどこから投げられるか、打者は見極めが難しいので、得します。


 ある種の研究ではベートベンやレオナルド・ダビンチ、ピカソ、アインシュタインら傑出した人物には左利きが多い。なぜなら直観やひらめきを司どる右脳が発達しているからだという話です。


 ぼくのような中途からの左利きには、脳の方が混乱したのか、不器用で動きが鈍い、滑舌がよくないなあと自覚することが多い人生です。


 こんなことで、左利きの苦労でさえ、世の中では時に息苦しいのですから、車いすの人、先天的な視覚、聴覚、言語障害のある人、心身障碍者、難病の人たち、母子(父子)家庭、独り住まいの人たちが、どれほどの不自由や差別、疎外感に苦しんでいるかと思いをはせると、行き届かないことばかりで暗然とします。


 前回の「山の日」でもちょっと触れましたが、政治経済社会では、票に結びつくか、ビジネスチャンスに結びつくか、そのいずれにも関わりにくい問題について、この国はいつまでたっても冷たいのです。



注 日本では8月10日は「左利きの日」です。イギリスの篤志家が提唱した社会運動で、国際社会では8月13日を、その日に定め、左利きの人たちが使いやすい道具、装具を創造するように求めています。ぼくはワープロが普及した40代後半から文字コンプレックスはなくなりました。

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