退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

怖い物忘れ

 長生きすると、待ち受けているのは、認知症。いわゆるボケになること。


 認知症を治す薬剤はまだないという。進行を緩和する効果がある治療はあるらしいが、
発症そのものを防止する決め手は欠くらしい。がんを根本的に治す抗がん剤がないのと同様に、人類の敵の克服は多難のようです。


 ボケについて夜間の徘徊、大声でやみくもにわめいたり,家族を泥棒扱いしたり、暴行を働いたりすることが、知られています。実は、この程度の人格変質はありふれた症状で、人格破壊が進行すると、自分の便を衣服や壁になすり付けたり、投げつけり、「便食」と言って食べてしまうケースもあります。介護する側はまさに極限の苦しみです。


 ボケになるか、寝たきりになるか、どちらかになるとすれば、どちらを選ぶかと問うと、九割方の年寄りは、ボケの方がいいというそうだ。


 その理由は、ボケになると、周りに迷惑をかけることは百も承知しているが、ボケた本人はなにも知らずに過ごせるからラク?!という自己中心的なものです。まあ、人間の本性でしょうね。ぼくも選べるものならボケてしまいたい。


 ところが、その二者拓一の話を披露した老人介護の専門家によると、ボケたら3年くらいで寝たきりになる。かたや、寝たきりの方は3年くらいでボケになる。つまり、ゴール?は同じなんだそうだ。なんとも切ない、苦しくつらい話です。高齢者の前途は、とても「長命を寿ぐ」どころではないのです。


 ぼくも日常でも、ど忘れ、物忘れはつきものです。本物のボケ一歩手前だと自覚しています。


 朝、ミルクを温めようとチン(電子レンジ)を開けると、すでに”先客”が入っていることは、しょっちゅうです。昨晩、飲むつもりで入れたカップを取り忘れているのです。


 朝刊を取りに行き、読みだすと、もうチンのことが忘れている、同時並行で二つのことをこなせないようだ。二階へ上がったものの、何を取りにきたか。冷蔵庫を開けて、何を取り出しにきたか。わからない。おもわず、えーっと声を出してしまう。


 靴を履いているのに、靴ベラがないと騒ぐ。三個の眼鏡は足が生えたように隠れてしまう。図書館で買い物カードを提示したり、プールでキャップやタオルを忘れたり、車や玄関のキーの置き場所などは、いつも”神隠し”にあう。


 スーパーで買い物の品をまとめてレジに向かってから財布を忘れていた。駅でも切符を買おうとして小銭しかないことに気づく。やむなく到着払いでタクシーに帰宅することも。


 図書館やDVD屋から借りた本や映画の返却日、病院の予約日、会費の支払い日なんか守れない。カレンダーに丸印つけているが、そもそも何で丸印をつけていることがわからない。


 机の前の壁にはピン止めした備忘メモがいっぱい張ってあるが、なんでピン止めしたか、忘れています。手紙を書いて出先で投函しようと思ってポケットにいれたまま持ち帰り、帰宅して気がつく始末。


 モノの本によると、記憶力というのは、大別して三種といいます。
一つは記銘力。新しいことを覚えること。
二つは保持力。覚えたことを長く保つこと。
三つ目は想起力。古いことを思い出すこと。


 なるほど、記銘力が衰えることは、新しい知識や経験が身につかない、前向きな姿勢を失うことにつながるのか。確かに忘れないうちに、連れ合いに家人に言って置かなくてはと思っていることを忘れると、ひどく消耗する。何だったかな、と頭をたたくしかない。


 どうでもいいような、つまらないことをなぜか、いつまでも覚えています。しかし、同じ本を時期はずれるが、三冊も買っていたり、ひと月前に借りたDVDをまた借りてきたり、読みかけの本のページを覚えておらず、読んでいるうちに、ああ、ここはすでに読んでいたと気が付くことは、日常的にあります。


 お気に入りだったはずの女優や歌手の名前が思い出せず、気になって考えているうちに終わってしまったり、風呂に入っていると、ふいに思い出したり、夜半に目覚めたときに、まだ思い出せないことが気になっていたり。保持力もあいまい、気まぐれになっています。


 年をとると、想起力だけが生きているいるという実感があります。十代のころの読書や映画や友人のことは比較的思い出せますが、三十余年勤めた会社員のことは、勤め始めのころのことは鮮明です。古いことは、まだ写真やモノ、映像など手がかりがあれば、あれもこれも芋ずる式に思い出すことがあります。


 物忘れでも身内で大騒ぎするのは、まだいいが、、、いいことないか、、、世間様と関わることは、具合が悪い。銀行カードがなくなり、大慌てで銀行に連絡して無効扱いにしてもらったが、一週間後にカバンの底に落ちているのが見つかった。


 駐車場で、どこに車を止めたかわからなくなり、警備員を煩わせて探すのは、本当に面目ない。本物の痴呆が始まったのではないかと暗然とします。


 バスと私鉄と地下鉄とを乗り継いで、さる場所についたとき、「社会の窓」が全開していると、こっそり指摘されて、赤面した。これには狼狽した。ざっと二時間、群衆のなかを開陳していたわけだ。


 出先で書類を書くことになり、自宅の郵便番号や電話番号が、どうしても思い出せない。係りの人に怪しまれり、妙に同情されたりするのは、つらい。


 最近では、大いに動揺したのは、、、、ほんとうは内緒にしておきたいのですが、、、、ある日、帰宅したら、連れ合いが待ってましたばかり”告発”しました。


「トイレで”大”のあと、水を流していなかった」


 いよいよ、シモの始末も、気が回らなくなったか。じわり、じわり、見えない魔物が近づいています。

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