スマホ
いまさらながらですが、スマホを初めて買いました。
ガラケー(二つ折り携帯)を長年愛用していましたが、外出先でガラケーでは用が果たせないことが起こり、観念しました。
レンタルDVD屋さんで”割引サービス”はネットで配布している「QRコード」をスマホの画面で示さないとダメ。おばさん店員が言います。ガラケーではスキャンできないのです。
ぼくの顔を見て、ちょっと時代に取り残された老人と憐れんだのか、心底、自分の責任のように申し訳なさそうにいってくれます。いいおばさんにほだされました。
作家、佐藤愛子さんが84才のとき書いたという『老兵の消燈ラッパ』(文春文庫)を読んでいるときです。彼女のユーモアたっぷりのエッセイを「フムフム」と相槌をうっています。老兵は消え去る時期にきているというのに、文明の利器(こういう表現も古いネ)にやむなく挑戦です。
店員のおばさんと変わらぬトシごろの長女に「できるだけ操作が簡単で、維持費が安いヤツ」と注文を付けて、選んでもらいました。届いたスマホは、確かに、てのひらに乗るパソコンといった感想です。
国の調査によれば、国民のスマホ普及率は85%に達しています。60代以上という枠組み
でも70%に迫る勢いといいますから、ぼくのような非スマホ派は、肩身がせまかったわけですね。だが、あまり気にはしていませんでした。車は移動の手段、ガラケーは対話の手段としかおもっていないタイプです。
余談だが、それにしても、70代、80代というような枠組みを調査対象にしないのは、ケシカラン話です。60代以上は、一緒くたの安売りセールみたい。独立した人間扱いされていないんだ、国の調査対象から!!
むかし話をしますと、勤め先に仕事の関係で富士通のワープロ「オアシス」が導入されたときは飛びつきました。のちにポータブルのオアシス普及版が廉価で買えましたので、文字書きに重宝しました。さらに退職後にはマイクロソフト社の「ウィンドウズ95」が発売されて、パソコンに乗り換えました。
あのころのはデカい、重いブラウン管型のヤツで、まだ家電量販店が一般的ではなく、電気製品店が集中する日本橋に出かけて購入しました。
わずか25年ほどまえですが、あのころは、まだ光ファイバーもなく、ワイヤレスでもなく、電話線を使っていました。パソコン設置のため送電会社から2人のエンジニアーが自宅にきて、電信柱に上ったり、なにやら測定器のようなものをかざして配線や接続状況をサーバーと確認作業していました。
そのあと、遠い購入先の店から男性店員さんが出張してきて、あれこれ電気的な調整をしました。たいそうな準備が必要だったのです。かなり時間がたったころ、店員さんが呼んでくれました。
「お客さん、なにか見たいものがありますか」
「野鳥の写真をみたい」
店員がおおむろにキーボードを操作したところ、画面にキジか、ヤマドリの姿があらわれた。
「やったあ」
ぼくも店員さんも同時に叫んで喜んだものです。おそらくニッポンの家庭にパソコンが導入された黎明期には、こんな光景が各地で起きていたと思います。今昔物語だなあ。
あれから新しいバージョンが出るたびにパソコンは買い替えて、いまも2台もってるほか、音楽用にIPODクラシック、寝る前用には横着がきくIPADもつかっています。
どれもコンピューターに変わりがないのですが、持ち運び可能か、軽いか重いか、ビジネスバッグに収まるか、ポケットに入るか、片手で完全処理できるか(空いた手はご飯を食べたり、ソフトクリームをなめたり、事務をしたいからだそうだ!!)、売り手と買い手の欲望は限りなく、用途や仕様で使い分ける時代になっているのです。
スマホの使い道は際限なく広がります。ついに老兵は屈服です。
電話やメール、ツイッターやFACEBOOKはスマホ。
ホームページやブログ書き、あれこれ検索はパソコン。
夜更けの映画やYouTubeはIPAD、
ジムでの音楽はIPODクラシックをイヤホンでと使い分けましょう。
「思い出は誰れとも語らず、ひとり静かに浸っているのがよいらしい」。
佐藤愛子さんは、こんな悟ったことを書きつつ、昔話を書き連ねています。性懲りもない昔話ですが、しんみりと、おかしい。
どんどんスマホが簡便廉価になれば、
近未来の独居老人のなかには、スマホを握り締めて孤独死。
そんなシュールな往生をする人も出てくるだろうな。