退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

イモのツル

 いい年になって、はじめてサツマイモのツルを食べてみた。


 ツルの煮物は見かけは、フキの煮物とそっくり、食感も似ていて、意外にもおいしかった。イモのツルという先入観がなければ、上品な小鉢の一品です。酒のサカナになりますね。


 連れ合いが長く借りている「貸し農園」を今夏は放置していました。本人が体調を崩して、畑づくりをどころでなかった。見事に雑草地と化してしまった。もう地主さんに返そうか、迷った末に、あと一年、借りたいという。そこで農地に戻す仕事を手伝いました。


 スコップやクワを使うと、てきめんに腰が痛んで休憩につぐ休憩という体たらく。いやー農作業は思いつきでやれるほどヤワではありませんね。十日後、大根の種を百個まきました。例年より一か月以上遅れています。年末までに世話のかからない根菜を植えるそうです。


 前置きが長くなりましたが、貸し農園ではサツマイモのツルが畔道に積み上げられています。それを見て、老夫婦の会話。


「イモのツルは、戦中戦後の食糧難時代にみんな食べたらしい」
「雑炊のカサ増やしや、おかずにしたそうな」


 あの時代、イモのツル、大根の葉、ヒエ、アワ、ペンペン草、イナゴ、タニシ、カエル、、、スイトンなら贅沢のほう。なんでも食べて空腹を補ったと伝えられています。とはいえ、敗戦時に国民学校(小学校)入学の身なので食べたんだろうけど、記憶にない。


「いっぺん、イモのツルを食べてみよか。どんな味なんかなあ」


                       (皮をむいたイモのツル)


 連れ合いのレシピは簡単だが、準備に手間がかかります。太目のツルを塩を少し落とした湯でゆでたあと、ツルの先から皮を向く。これが面倒。4,5センチに切ってごま油で炒め、めんつゆに薄揚げとともに煮込みます。好みでミリンや醤油で味付けると完成。イモツルの煮物です。                (写真を撮り忘れました。すみません)


 食べてみると、冒頭のような感想になりますが、連れ合いは、たぶん戦中戦後には、ごま油もミリンも薄揚げも手に入らなかったから、味気なかったのだろうという。


 味をしめて、翌日はイモのツル、マエタケ、鶏肉を炒めて食べた。これも美味しかった。




 気まぐれに食べるから美味しいといえるのかもしれない。これが、いわば代用食という名の主食となり、ろくに調味料もなく、取り合わせの食材もなく、塩ゆでだけで食べなければならないとなると、話は別です。


 そんな状況に国民を引きずりこんだ戦前の体制や指導者たちを今も美化し、崇拝してやまないカルトのような日本会議。その重要メンバーである『国語が読めない人物」から「腹黒い人物」へバトンタッチして一か月。


 腹黒い「越後屋」のやったことは、言論の自由への権力介入。まるで中国による香港封殺とそっくりです。この道を突き進んでいけば、再びイモのツルを食べざるを得ない状況においこまれそうです。


 早く総選挙を行って、これらの連中をイモヅル式に野に送り込めないか、イモのツルを食しつつ思いをはせますね。

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