退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

冬隣の酒

 北の国や各地の山に雪の便りを聞くようになると、「おでんに酒」が似合いますね。「こたつにミカン」みたいに定番の冬の夜の愉しみする人が多い。


 とはいえ、ぼくは酒好きなんですけど、日本酒は嫌い。ビールや焼酎、ウイスキーが好みです。連れ合いに付き合って、安いワインを飲むことも、たまにはあります。


 日本酒のメーカーさんや熱燗をたしなむ人には申し訳ないけれど、日本酒には、個人的にいやな、こだわりの記憶があって、、、いまふうに言えば、トラウマみたいなものがあって、どうしても好きになれませんね。


 こどものころ、酒といえば、日本酒のことですが、ろくに家にいない父親がたまにいると、「酒買ってこい」と命じられて、カラの一升瓶をかかえて夜道を走りました。


 そのころ、酒は酒屋で「量り売り」でした。配給制が解けて、やっと自由販売になったころか。いまのように、どこでも酒が買える時代ではなかった。


 たいてい父親の飲む量は三合です。酒屋のおっさんが面倒くさそう土間におりてきて、裸電球をともした後、一合ごとに漏斗を伝って一升瓶の底に流してくれます。


 それをじぃーとみつめていると、「坊主、インチキせえへんよ」」と決まって、おっさんが苦笑していましたね。


 寒い夜のおつかいなんか、子ども心に苦痛でした。走っている間に小銭を落としたりすると、もうどこへ散ったかわかりません。私鉄電車の線路わきの道でしたので、一瞬に通過する電車の窓の明かりで探したりして、親を恨んで泣いたものです。


 そうして買ってきた酒を、父は銚子にいれて、お燗をし、小さな杯に移して、ちびちび飲みながら夕刊をひっくりかえして読んでいます。そんな父親の姿をみていて、嫌悪感がつのりましたね。母親はどこに行ったのか。ぼくを置いて、どこに行ったか。なんの説明もしない父親でした。


 のちに日本酒を自分でも口にするようになりましたが、そんな不快な記憶と重なって、べたべたする妙な甘さ、すっきりしない酔い心地、饐えたような匂いなんかも絡んで、好きになれませんでしたね。


 高校生のころは、父親の羽振りが良く、おおきな家を建てた。もっとも、こどもの成長なんか、ほったらかしの家庭だったので、こちらも好き放題にやっていました。


 洋画のかっこいいウイスキーやカクテルを飲むシーンにあこがれて、自室にウオッカやジン、リキュールの瓶を並べてました。シェーカーを振ってジンフィズなんかつくって飲んだり、ウイスキーをガンマンのようにクイっと飲んだりしてました。


 思えば、ずいぶん長い間、お酒とともに暮らしてきたものです。肝臓を痛めて寝たことがありましたが、ぼくのような、自己分析すれば、うつ気質の人間は、どんなにか、アルコールで気持ちが救われたことか。外からのストレスも、内から沸き起こる欠落感や不安や焦燥も、すべてアルコールで発散できました。ありがたいことです。


 ちょっと前の季節に「冬隣」という季語があります。このトシになって酒量は少なくなりましたが、中島みゆきや、ちあきなおみを聞きながら、芋焼酎のお湯割りを飲んだり、バーボン・ウイスキーの水割りをすすったりできるのは、ほんとうに幸せなことです。


 アルコールを飲むときのBGMは、とりわけ、ちあきなおみが、最適です。表舞台から去って、もうウン十年ですが、彼女の絶唱は、いつも心に響きます。


 ちあきなおみは、それぞれの楽曲の持つ雰囲気を、まるで役者が舞台で演技するように、歌います。それに、ちあきなおみの歌う曲には、よくできた短編小説のようなストリーがあるのも、いいですね。


 次の歌には、「地球の夜更けは淋しいよ」というフレーズがあります。闇が深くて底知れぬ、どうしようもない寂しさがこめられているようで、しみじみといい歌だとお気に入りにしています。


 冬隣

あなたの真似して お湯割りの焼酎のんでは むせてます


つよくもないのにやめろよと 叱りにおいでよ 来れるなら


地球の夜更けは淋しいよ そこからわたしがみえますか


この世にわたしを置いてった あなたを怨んでのんでます


           (吉田旺 作詞  杉本真人 曲)

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