退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

エンゼルフィッシュ

 エンゼルフィッシュとメダカを飼育しています。


  朝起きると、いちばんに水槽にかけてあるカバーを外し、明かりをつけてから、トントントンと水槽の隅をたたくと、エンジェルフィッシュが寄ってきます。別の水槽のメダカもそうです。眠たいのか、反応が鈍いときもあります。待つことしばし、寄ってきて、ホッと。


 こどものころから熱帯魚を飼い、転勤族のため長い中断のあと、住まいがほぼ定着したサラリーマン時代の後半から、また飼っています。しかし、職場でそんな趣味があることは、話しません。当時はサカナ飼育というのは、あまり一般的は愉しみではないようなので、黙ってましたね。


 というのも、長い時間、水槽のサカナを飽きずに眺めているおっさんの姿は、はたからみれば、どんな印象を持つのかな。時々、そう思っていました。あんまり好意的に見てもらえないかもしれない。オタクとか、偏屈とか思われるかもしれませんね。まあ、事実そうですけどね。


 アクション俳優、シュルヴェスター・スタローンの出世作の映画『ロッキー』では、定職もない、友人もいない独身の男が、部屋から外出しかけて戻り、水槽のサカナにエサをやるシーンが冒頭にあります。孤独な男が、闘魂の限りをつくして世界チャンピオンになる大化けの物語です。


 邦画でも韓国映画でも、孤独な男がぽつんと熱帯魚を見つめているシーンをよく使っています。。サカナを飼うという行為に、人物の性格や立ち位置を説明する暗喩として使われているようです。


 アメリカ映画では、壁にかけられた絵画の額のゆがみを気にして、水平に直す男がよく出てきます。この場合は、登場人物は几帳面でこまかいことに気づく人物だという設定でしょう。南北戦争時代の大胆不敵な悪漢、ジェシー・ジェームスが背後から射殺されるのは、この几帳面な性格のせいでしょう。細心と大胆の奇妙なアンバランスが面白い。


 熱帯魚を飼うのは難しい。いまのように水温を調節できる装置や、外部フィルター、エアーレーションがあっても、水質やエサや水替えの時期を見極めるのが難しい。遠い異国の地でムダ死にさせたのは、本当にかわいそう。何百匹のサカナを死なせたかわからない。供養碑がいるほどです。


 それでも懲りないのですね。メタリックなカラーのネオンテトラやカージナルテトラが群泳している光景は美しい。コリドラスが水槽の底で掃除をしてくれるのはかわいらしい。グッピーは、一匹ずつが色合いやヒレの形が多彩で、水中の妖精。きれいですね。スマトラやプラティなどの模様に造化の神秘をみるようです。


 モノ言わぬサカナたちです。だからいいのですが、朝夕、トントントンするだけで寄ってきて可愛いもんです。池の鯉と一緒ですね。ぼくの人生は、ロッキーのように大化けすることもなく、背後から闇討ちに遇うこともない凡々たるものですが、サカナたちを世話する余裕があったことは、幸いです。


 コロナ禍で巣ごもりのいま、小さなサカナを飼うのが人気のようです。熱帯魚よりは装置が不要な金魚やメダカを飼ってみては、いかがでしょう。なごみますよ。

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