退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

ホワイト・クリスマス

 昭和の半ばのころ、クリスマスはバカ騒ぎのお祭りでした。
 師走に入る前から、町中に『ジングルベル』や『赤鼻のトナカイ』のクリスマス・ソングがじゃんじゃん流れて、イブにはラッカーがはじけ、三角帽を載せた、おっちゃんたちの酔っ払い天国となりました。


 高校生のある師走、堂島川のほとりにある大学病院に入院しました。右腕の骨折部を手術するためです。古色蒼然だが、広い一人部屋。ベッドで寝転がっているのは、世間から隔離されてような気分。つまらなく、孤独を持て余していました。


 長い夜、携帯ラジオで音楽を聴くのが唯一の愉しみ。須磨のAさんから、豊中のBさんへというかたちで「電話リクエスト」という番組があり、希望の楽曲がかかります。この時期はクリスマス・ソングが多かった。


 なかでも、ビング・クロスビーの『ホワイト・クリスマス』は心に響きました。はしゃぎすぎて喧噪な他のクリスマス・ソングと違って、甘い声でゆっくりと切々に雪景色のふるさとの情景を想ういい曲です。


 当時、エレベーターは手動式で、定時制に通う女子高校生がアルバイトで動かしていました。用もないのに、ひっきりなしにエレベーターに乗りにゆき、彼女と親しくなりました。川向うの朝日会館へ映画を見に行きました。まだ敵機来襲に備えた真っ黒な防空色に塗られたままの異様な建物でしたね。


 翌日、病棟に瞳はキラキラ,巻き毛クルクル。生きたフランス人形みたいな可愛い女子中学生が現れました。しばらく奥の病室にいる祖母を見舞いに来るといい、天真爛漫なふるまい、どの病室にも入っていき、愛嬌を振りまいていました。ぼくも、すぐ夢中になりました。


 彼女が病室に顔を出すと、ドキドキして、エレベター・ガールそっちのけです。ところが、ところが、です。ある日、看護師(当時は看護婦)さんが、真顔で駆け込んできました。


 「大丈夫ですか」
 「なにが」
 「お財布ですよ」


 ぼくは、言われるままに敷布団とマットレスとの間に差し込んであった財布を探りましたが、ありません。


 「やっぱり」
 看護師さんの話では、多くの患者のお金がなくなって、いま大騒ぎになっている最中とのことです。あとで、聞いた話は、衝撃的でした。ちょっと、のちのちの人生観に影響を受けたほどでした。


 なんと犯人は、あのフランス人形さんでした。彼女には盗癖があり、親も涙ながらに、それを認めているということでした。天から授かった美形が、抑えがたい魔の手を持っていたのです。仰天しながらも、なんだか可哀そうでなりませんでした。


 『ホワイト・クリスマス』を聞くと、あの巻き毛クルクルちゃんは、どんな人生を送ったのかな。『ハッピー・クリスマス War is over』(ジョン・レノン)を迎えているかなと、思いますね。

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