退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

初日の出のこと

  初日の出を拝みに山を登るのが、長い間,元日の習わしでした。


 中年から山登りにはまりまして、国内外の山歩きに明け暮れました。その勢いのまま、大みそかは少し早めに床について、元日の午前4時過ぎには起き出して、車で近郊の山の登山口へ向かいます。


 ですから、あの紅白歌合戦なるものは、ほとんど見たことがありません。そのことは少しも苦になりませんが、除夜の鐘をつく現地からの中継風景には、多少、未練を残しています。あの凍てつく冷気のなかで厳粛に響く鐘の音は、若いときは好きな行事の一つでした。


 今回の除夜の鐘は、アベの虚言にちなんで118回つくのではないか。そんなジョークが巷に流れていますが、ほんとうに情けない人物でした。コロナ禍とともに吹き飛ばしたい輩ですね。


 閑話休題。大阪近辺の初日の出は、毎年、午前7時6分ごろですので、それに間に合うように、登山口周辺の道路際は、同じ思いの人たちの車列がいっぱいです。みんな防寒服に身を包み、真っ暗な山道をヘッドライトの明かりを足元に照らして登ります。


 低山なので、いつも連れ合いも一緒です。黙々と一歩一歩、時々、足を止めて、休み休みにのぼりますが、しだいに息を荒げて、吐く息が白くなるのが暗闇でもわかります。


 元気だったころは金剛山(1125メートル)、十数年前からは、ちょっと足腰が弱ってきたので、二上山の雌岳(474メートル)に切り替えましたが、どちらの山頂でも、同じ趣向を楽しむ人々が家族連れもまじえで大賑わいになります。


 山頂では神社側や町の教育委員会などの関係者が、炎が燃え上がる大きな焚き火を用意してくれています。縁起ものの干支入りのしゃもじが配られたり、若い衆の大太鼓の演奏があったり、昔はお神酒や甘酒もふるまわれたりしました。


 夜明けまえは寒気が一段と冷ややかになり、みんな、その場で足踏みしながら、薄明を待ちます。金剛山にしろ、二上山にしろ、日の出が上がってくるのは奈良県と三重県境に連なる大台ケ原の山系の方向からです。


 時間通りに山影を形どるスカイラインがぼんやりと赤みを差してくると、待ちかねた人たちの誰ともなく歓声が上がります。やがて火の玉が山の端からちょこっと顔を出すと、たちまち薄明りの空に放射線状のオレンジ色の広がっていきます。それはそれは神々しく神秘的な空の大がかりなページェントです。


 登山者のなかには、合掌して、南無阿弥陀仏を念じるおじさん、流れる涙をぬぐうおばさん、カメラのシャッターを切りまくるもの、肩車してもらって喜ぶ子供の声、さまざまな感動がわきあがるひとときです。大自然の営みにひれ伏すような瞬間です。


 地球誕生いらい46億年とか。いつも繰り返している地動周回の自然現象なのに、行く年くる年のボーダーラインの日の出として、拝んだりするのは、奇妙と言えば奇妙な行いですが、無信心で初詣をしないのぼくにも、気持ちを新たにする、すがすがしい習俗です。


 初日の出を拝むといっても、前夜から雨や雪、あるいは、曇り空と予想されたり、晴天のはずが足踏みしている間に崩れ、せっかくの太陽が雲隠れすることもあり、なかなか完璧な日の出には出会えないものです。


 どちらにしても、ぼくたちは、すっかり明けた山を下りますと、帰り道でスーパー銭湯によってゆっくりと初風呂を楽しみます。丸洗いしてさっぱり、あらかじめ用意してある下着に着替えて帰宅。改めて「おめでとう」の言葉を交わしてます。乾杯、おせちに箸をつけます。それが永年の元日の朝でした。


 山は逃げない。いつでも登れると言っていたのに、その逃げない山にいつの間にか登れなくなりました。老いの身の、どうしようもない悲哀です。自らの意思に体力がついてこないのは、もどかしくいらだちます。改めて、それを自覚するのは、つらいことです。


 いきなりの飛躍ですが、人はみな限りある身です。「命短し、恋せよ乙女」というのは、ほんとうです。(涙目)

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