地獄温泉のこと
阿蘇山の南に広がる山並み、その中にポツンとある地獄温泉「清風荘」は。六年前の熊本地震で壊れました。
しかし、着々とよみがえり中という番組を偶然見て、友人と一緒に宿泊したことを思い出して、懐かしかった。NHKTVの『逆転人生』でした。
元の職場の同期生が、退職後、縁もゆかりもない熊本県の過疎地で農業をやると言って、ひとりで移住しました。横浜生まれの自称、”シティボーイ”の心境の変化に驚きました。
移住者を歓迎する地元の町役場の世話で、合計550坪の二面の畑と山林管理をすることになり、やがては「道の駅」に野菜を出荷できるようになった。十数年まえのことです。
「キュウリ3本が百円。儲けにならんけど、自給には困らない」という友人の田舎暮らしを冷やかそうと訪ねたことがあります。マムシが出るような畑で苦労話を聞いたあと、彼の車で平山温泉と地獄温泉に泊まり、飲んで飲みまくり、職場の昔話や共通の友人知人の消息に話が弾みました。
地獄温泉は、山中の長く続くつづら折りの道路の先にありました。田舎の小学校の二階建て木造校舎ような外観です。古くから大勢の湯治客たちが自炊しながら、静養できるようになっています。
ここの温泉は、加熱も加水のしなくても適温の源泉がわき、そのままに入れます。「たまごの湯」と「すずめの湯」があって、混浴です。「すずめの湯」はミルク色というか、カルピスを溶かしたような白濁した湯です。友人と二人そろりと入ると、もう腹や足は見えません。
そこへ、地元らしいおばさん三人が、前をかくすこともなく現れ、丸々太った体を湯に沈めながら、早口でしゃべっています。
おばさんたちは、さっそく、もぞもぞと体を一層沈めて湯の底から白い粉のような泥をすくいあげて、両肩や首筋、さらに顔にもになすりつけはじめました。みるみる奇怪な白仮面をかぶった状態になります。つい、声をかけます。ざっとこんな問答。
「なにをしてるんですか」
「体にいいじゃが」
「どんなことに?」
「肩こりや関節の痛みや肌にもいいと」
「よく来るんですか」
「これが、仕事じゃが」
くったくなく、ゲラゲラ笑いながら話してくれた。楽しい湯でした。
夕飯はで民芸風の広いいろり場で。テーブルの前に水流があります。いろり焼きコースでは、合鴨、地鶏、ウズラ、それにイノシシの肉、豆腐や野菜などの料理が、小さな舟に揺られて次々と運ばれてきました。ビールがすすむ楽しい趣向の食事でした。
そんな地獄温泉が熊本地震とその後の土石流で壊滅状態になりました。あのときはニュースでも山中の道路も寸断されましたことを伝えてました。
友人との楽しい曽遊の地ですから、大きな災厄を残念に思っていましたが、番組『逆転人生』によると、家業を継ぐ三人兄弟が協力し合って再建に向かっていることを知り、うれしかった。
ただ、コロナ禍での休業という災難もかさなって、大変そう。名前も「晴風荘」から「青風荘」に変えたそうで、「すずめの湯」はまえより広くなってました。
本来なら、TVを見たら、すぐにも友人に知らせて、話題にしたいところですが、あの気配りの優しい友人は二年まえ、病気で他界してしまっています。元の会社の社報に追悼録を書く羽目になるとは思いもよりませんでした。
年寄りのむかし話には、こうして喜怒哀楽を共にした友人知人との思い出が多くなりますが、その当時の顔ぶれの一人や二人、必ず鬼籍に入っています。
彼(彼女)が亡くなり、こちらが生きていることに特別な意味はないと思うのですが、複雑な気持ちです。こう書いていると、胸の中を風が吹き抜けるような寂しさを感じます。