退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

誕生日祝い

 見事なグリーンイエローのシンビジウム5本立ちの鉢をプレゼントされました。


 今回は初めて、二人しかいない孫が連名で贈ってくれました。25才の孫娘と16才の孫息子です。これが一番うれしい。今まで花を贈ってくれていた娘は、ステーキ肉をくれました。華やいだ部屋で爺さん婆さんは、ステーキに舌鼓をうちましたとさ。幸せな82才の誕生日でした。


 長く生きていても、いまの時代は,必ずしも幸せとは限らない。少子高齢化や年金問題では、高齢者がヤリ玉に上げられます。クソジジー、クソババーとののしられ、老害,老醜と差別されることもあります。


 お店で接客のお姉さん,おばさんから妙に幼児扱いされることも少なくありません。あれって、お姉さんやおばさんには悪気があるわけでなく、むしろ高齢者に親切な気持ちで接してくれているのでしょうが、かみくだいだ食べ物を口に入れられるような気持ち悪さを感じています。


 まずは普通に話かけてくれて、対応がちゃんとできない高齢者とみれば、そうであってもいいのですが、まだ元気な者にとっては、なんだか一人前あつかいされていないという気持ちになって不愉快なものです。難しいかもしれませんが、ぼくなんか、そうして欲しいと思っています。年寄りにも自尊心があるのです。


 昨今、同世代による分別もない性差別、ジェンダー差別が話題になっています。世の中には、ありとあらゆる差別があります。高齢者差別という現実も大いにあります。 こういうブログを書いていても、「高齢者は早く死ね」とコメントをいただくこともあります。「あなたも、いずれトシとりますよ」と無視しています。


 人は生まれるときに国、土地、両親、その貧富、 性別、疾病の有無など選べない。みんなスタート地点が一律ではない。だからこそ、スタート地点だけでも平等公正にしようとしたのが、身分社会.封建制社会からの民主化ですが、いまのところ、まだまだ理念先行です。 


 こうした世の中で「遅れたもの、弱いもの」ば「落ちこぼれ、自己責任」というのは保守派。逆に、だからこそ「公助、共助」が大切というのがリベラル。生まれた土地や性別や金持ちか貧乏か、なんてことで機会が均等でないのは、当事者にとっては、憤懣の持って行きどころのない問題です。


 こういう根本的な問題を、仕方がない、習わしだとか、伝統文化などと言うのは、そうすることによって既得権益が守られるのが保守、容認しないのがはリベラルだとぼくは思っています。


 かつての職場の上司は、いわゆる知恵遅れの子どもを育てていたせいか、「本人に非がなく、本人が努力しようがないことを責めるな」とよく言っていた。今では禁句の「きちがいに刃物」などと口走るヤツがいたら、本気になって怒っていました。


 そういう意味では、加齢なんてことは、万人共通で本人の意思には無関係ですから、高齢者であるということだけで、差別されたり、不利益を受ける道理がないということです。


 さて、誕生日の話に戻しますと、こどものころは、お誕生祝いという習慣は、一般的ではなかった。冷たい崩壊家庭だったから、そういう経験がないのかと長く思っていましたが、明治生まれの親たちの頭には、人生の祝い事、慶事に「お誕生日祝い」はなかったのにちがいないと思うようになりました。


 この国には和洋折衷での通過儀礼がたくさんあります。出産祝い、お七夜、お食い初め、雛祭り、端午の節句、七五三など成人式までにイベントがありますが、お誕生日祝いというセレモニーは和の習俗にはないようです。


 思うに、これは敗戦までは、年齢は元日を迎えるたびに、一斉に一つ加齢する「数え年」制度であったから、個人の誕生日祝いが生活に取り込まれなかったのではないか。


 調べてみますと、個人的な誕生祝いが、家庭でも行われるようになったのは、昭和24年(1949年)に「年齢のとなえ方に関する法律」が制定されて以降に、満年齢での数え方が普及しはじめてからだと言われています。ケーキがつきものって、アメリカ文化の影響をもろにうけています。


 ですから、ぼくが子どものころ祝ってもらったことがないのは、当時としては普通だったのでしょう。この点で親の無関心はやむ得なかったかと理解します。誕生日祝いが、どのような形であれ、個人の尊重という意味では大切なことですね。


 ちなみに「天皇誕生日」を国の祝日にしたのは、明治6年(1873年)のこと。当時は「天長節」といい、戦後いったんご破算。昭和23年(1948年)に制定されたの国民の祝日の法いらい今のかたち。


 それにしても、誕生日の対義語は、命日です。命日には月命日から四十九日などと細かい法事があります。日本人は、誕生よりも死去後を大切にしてきたのは、興味深いです。ぼくは、生きている時こそ、大切にしたいし、されたいですね。

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