退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

本当のおもてなし

 山歩きがしんどくなり、横歩きにしよう。つまり、タテからヨコに歩き方を変えたとき、いちばん先に思ったのは、四国八十ハ札所巡りを「歩き遍路」でやろうという発心でした。


 連れ合いとともに全行程1200㌔㍍、合計42泊43日間かけて、歩きとおしました。大阪・東京を往復して、なお余りある距離です。まあ、一生分の歩きをしたような”長征”でしたね。午前7時には宿を出発し、午後4時ごろに次の宿にたどり着き、お風呂と夕飯をいただくと、二人ともバタンキュー、爆睡の繰り返しでした。


 もともと特に信心があるわけではありませんので、お寺ごとに本堂,大師堂で唱える般若心経もまごつく心得のない遍路でした。しかし、ひとたび笠をかぶり、白衣姿で金剛杖を突いて歩けば、出会う人々の遍路者に対する敬愛、いたわり、おもてなしの心の広さ、深さには心底、胸打たれました。


 歩き始めて、すぐに道端のおばさんに合掌されているに気づき、あわてました。人様に拝まれるなんていう大変なことは人生初の驚きでした。車を止めて、わざわざ降りてきて、一礼してくる男性もいました。慣れるつれ、こちらからも丁寧に心をこめて合掌を返せるようになりました。


 遠くの行き先に誰か立っています。暑い日盛り、汗だくで歩き、近づくとおばさんがいて
「お疲れさまです。もう冷めてしまったけれど、、、」と言うなり、栄養剤入り小瓶を二つ
お接待してくれました。おばさんは、頭を深く下げて、ぼくたちに合掌してくれました。四国の人たちの遍路者に対するおもてなしは、半端ではありません。これぞ究極のお接待というほかはありません。


 こんなこともありました。夕暮れの徳島県の美波町。二十三番札所、薬王寺近くに「善人宿」があることを知り、電話で宿泊を予約しました。善人宿というのは、お遍路さんに一夜の無料宿を提供する篤志家の宿のこと、ここではバスを寝所に改造したものでしたが、普通の民家の場合もあります。


 電話をうけてくれた女性は「夕飯を用意できますが、どうなさいますか」、「エッ,食事も」ということなので、お願いして、指示された国道ぞいにポツンとある廃車のバスにたどり着きました。


 後から青年のお遍路も来られて、三人となりました。折から降ってきた雨のなか、熟年のおじさんが車で現れ、三人分の夕飯を運んでくれました。お膳には白米のご飯のほか、魚、野菜の天ぷら、野菜のおひたし、みそ汁もついています。


 青年は東京でサラリーマンをしていたが、父親が亡くなったのを機会に帰郷して農業者になると言います。そんな話をしながら、食事をいただいていると、先ほどのおじさんは再び現れ、「いやあ、電話の予約だけでは、わかりませんでした。お口にあうかなと思ってお刺身を持ってきました」と言って、盛り合わせの刺し身を差し入れに来てくれました。ぼくたち夫婦の年寄り風体を見て、わざわざ出直してくれたのです。


 おじさんは笑みを浮かべて、「食後はまとめて、ここに置いてもらえばいいですよ。あすからのお遍路が無事でありますように」と言って、こちらが感謝のあまりにお礼の言葉に詰まっているうちに,闇に消えて行かれた。見ず知らずの遍路者に、なんという無償の献身的なお接待をされることか。ぼくのいい加減な人生観はショックをうけましたね。


 こうしたお接待は、歩く先々で、いろいろなかたちで、実にたくさん受けることができました。機会をみて、こんごも紹介しましょう。そのつど、人の善意や親切に感動させられました。「ありがとうございます」、「本当にありがたいことです」と心から感謝の言葉を口に出せるようになりました。


 白衣の歩き遍路さんは、弘法大師空海の化身だ、ほんらい自身も遍路し修行しなればならないが、いまは俗世のことに追われれていますので、お遍路さんに代参してもらっている、というような気持ちが、お遍路さんへ無償のお接待となっているようです。


 ただ、いまは簡便なバスツアーやタクシー、あるいはバイクで札所を回る人の方が多いのが現状です。歩き遍路は、ごく少数派です。直接、耳にした地元の人の声でも、バスからおりて、境内をぞろぞろ歩く参拝者を眺めながら、「あんなことでは、なんにも身につけやせん」と軽く見られてました。


 確かに納経所で御朱印をもらうのもバスのガイドまかせでは、信頼されませんね。しかし、遍路する人々の動機や体調、懐ぐあい、時間の都合など事情はさまざまですから、どういうかたちで遍路するかは、ご本人しだいです。


 四国のお遍路体験は、ぼくの気持ちにも大きな影響を与えてくれました。信心の方はさっぱりですが、他人に対する接し方では大いに勉強になりました。あれから、すこしは優しくなったかもね、と自画自賛していますけれど、どうかな。連れ合いは、素知らぬ顔をしています。


 後年、リオで東京五輪招致のための最終プレゼンで、滝クリが「お・も・て・な・し」と両手を広げて呼びかける姿をTVでみました。「日本人は訪れる人に見返りを求めないおもてなしをします」という趣旨のあいさつをしたとき、ああ、こりゃダメだと思いましたね。


 口先ばかりの愛嬌で「開催させてくれれば、サービスいっぱいしますよ」というあからさまな打算がありありと込められているのです。あんなもんは、四国の皆さんが、お遍路さんに施されている本物のお接待からほど遠いリップサービスですね。おもてなしは、派手に華やかに見返りをもとめることなく、さりげない、真心がこもったものが、本物ですね。

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