退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

本当のおもてなしⅡ

 前回に引き続き、四国霊場八十八ヵ札所巡りを「歩き遍路」して、地元の皆さんから、お接待の数々を受けた話のいくつかを紹介します。


 歩き遍路をはじめて、すぐに民家から飛び出してきたおばちゃんに呼び止められました。
「どれでも、お好きなものをお取りください」。差し出した菓子箱のなかに色とりどりの小さな袋が並んでいます。手作りのお賽銭袋でした。連れ合いとともに二つの袋をいただきました。「いっしょにお遍路に連れて行ってあげて」おばちゃんは、頭を深く下げられました。


 遍路道は「遍路転がし」と言われる長い急坂の山中歩きや田畑のあぜ歩きのようなところもありますが、いまでは国道や県道と重複している個所もたくさんあります。追い越したクルマが急に止まって、降りてきたおっちゃんが、「今日は、どこまで行かれるか、送っていくから乗ってください」。こういう親切な申し出は数えきれないほどです。


 新米の「歩き遍路」の決意を鈍らす?ご厚意を丁重にお断りするのは、大変です。若い男女がドライブ中、追い越した先で止めて、ぼくたちが近づくのを待ってくれていました。やはり、送ってあげましょう、と。二人きりでいる方がいいのに決まっている、なぜそこまで親切なのか、俗人のぼくたちは、ありがたさに感動して、丁寧にお断りしました。


 なかには、国道の分離帯の向こうを走っていて、ぼくたちを見つけて、わざわざUターン地点で舞戻ってきたというトラックのおじさんがいました。そして言うには,方角がちがうので、いまは送っていけない。これを飲んでがんばって下さいと清涼飲料水を手渡してくれました。


 こうした申し出を一度だけ受けたことがあります。歩き遍路としては、面目ないことですが、緊急避難でした。徳島県の山中の狭い道を歩いていたら、前からきた軽四輪の農業者の男性に呼び止めれました。「ここから先の竹やぶに野ザルがいっぱいる。エサをあさっている最中だから、危ないよ、送ってやろう」。


 これには、すぐ反応しました。サルを侮れない体験があるからです。若いとき、京都・比叡山で京大の研究員が野ザルの餌付けを始めたころ、研究員に同行したのですが、写真を撮ろうとボスザルを狙ってカメラを向けていた時、突然、ボスザルが大声でわめき、大勢のサルにあっという間に包囲されました。


 怒って真っ赤になり歯をむき出して威嚇されたたときの恐怖は今でもがよみがえります。サルは一見可愛い面が大ありですが、怒ると”敵”に襲い掛かり、食らいついてきます。ずるずると後ろ足で後退したのですが、ボスザルはどこまでもついてきました。


 ボスザルと顔なじみの研究員が前に出てなだめてくれて、やっと包囲網から脱出できた苦い思い出があります。研究員は「サルと目を合わしたら危険」とたしなめられました。比叡山の餌付けサルは、いまは名物になっています。


 軽四輪にのせてもらい、問題の竹やぶを通ると、山道にサルの群れがうごめいていました。このときだけは、クルマに便乗させてもらい、助かりました。戻ってゆく軽四輪に向かって頭を下げますと、運転席から片手をひろひらふってくれました。お遍路ならでの人間味のあるお接待に助けられました。


 道端でいろんな年代の地元の人から、飲みものや、果物をいただくのは、しょっちゅうでした。老人ホームの前では、お接待にと引き込まれ、コーヒーをいただいたこともあります。コーヒーといえば、遍路者のためにコーヒーを常に用意しているという郊外の一人住まいのおばさんにも自宅でいただきました。


 連れ合いは地元の市場を抜けてとき、買い物中の母娘から500円硬貨をお接待されてびっくりしてました。その場面をじっと見ている小さな娘さんは、こうしてお接待の伝統が引き継がれているのにちがいないな。心揺さぶられるひとときでした。


 あの漱石の『坊っちゃん』も入ったという愛媛・松山の道後温泉本館。その近くで泊まった翌朝、有名な重文でもある建物を見に行きました。むろん、長歩きの朝ですから、入浴するつもりはなく、写真を撮って、歩こうとしたら、中年の男性がまっすぐ寄ってきて、「ちょっとお待ちになって」とぼくたちを呼び止めた。その足で入湯券売り場に行き、引き返してきました。


 「せっかく、道後温泉までこられたのですから、ぜひお湯に入って行ってください」
 そういって、入湯券二枚を押し付けるように手渡したくれました。「ありがとうございます」のこちらの声が届いたかどうか、男性は背中を見せて歩き去っていきました。


 入湯券二枚は3000円でした。驚きです。よそ者の遍路者に郷土自慢の温泉を味わってくれという気持ちが、お接待につながっています。ぼくたちが何者で、どこから来たのか、そんな素性を問わず、遍路者であるということだけに全幅の信頼と畏敬心をを寄せてくれているのです。連れ合いと顔を見合わせて感動するしかありません。すぐさま、歩き計画の変更です。


 「神の湯」につかり、浴衣に着替えて、二階の大広間では湯上りに茶菓が供される部屋があります。そこでは、遠慮なく痛めたかがとの傷を手入れしして、ゆっくりくつろぎました。思いがけなく古くからのしきたり通りの温泉風情を楽しみました。こうしたかけがえのないお接待をしていただいた思い出を記すと、なんともいえぬ満たされて気持ち、感謝を忘れない気持ちにひたることができます。


 そのあと、ぼくの好きな俳人、種田山頭火が寓居した「一草庵」を訪ねて、飲んだくれた俳人が愛した一升瓶が残る居室をのぞいたりして、、、、気ままな遍路歩きの楽しみの一つですね。



山あれば山を観る
雨の日は雨を聴く
春夏秋冬
あしたもよろし
ゆふべもよろし      
  (『草木塔』「山行水行」所載)
   山頭火

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