退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

友人の訃報

 二十代のころから付き合ってる友人が亡くなった。享年81。
 うんざりする暑い夜、訃報を奥さんから受けとり、がっくり。膝をつくショックでした。


 友人は、数年前から認知症状が起こりはじめ、盆暮れの付け届けの際、奥さんから進行の具合を聴いて心配していました。やりとりのたびに、物忘れや引きこもりや、会話が成り立たなくなったことを知るのは、つらいことでした。ここ二、四、五年は介護施設の世話になっているとのことでした。


 最初、そんな異変の始まりを耳にして、上京して会ったことがありました。若いころと変わらぬ笑顔で、最初に出会ったころの出来事やひとびとの話題を懐かしがって、よくしゃべっていました。これなら奥さまが心配されているほどじゃあないかなと、安堵したくらいです。


 ところが、ものの20分もすると、落ち着きが亡くなり、会話はすれ違い、友人は、そわそわして、なにか訳ありそうに何度も腕時計をみるのです。みずから立ち上がり、離れようとするのです。人の前で、そんな不愉快な態度を見せるような友人でなかったので、やはり症状のせいかなと思いました。奥さんが困惑した表情でした。


 むかし、北陸の赴任地で出会いました。いつも夜は同じスナックで飲んでいました。学生運動の活動家だったらしい雄弁で体制をこき下ろしていました。憂鬱な雪雲が垂れ込む街で濃紺の六つボタンのPコートを着て、かっこいい記者でした。


 当時の業界では、同じ社内の先輩後輩よりも、他社の人と気があうというのは、よくあるケースでした。社内よりもずっと気に置けないのです。むろん、いったん重要な事態が起きると、無条件に競うあうのですが、ふだんは飲み仲間でした。


 「産経残酷、時事地獄」と言われた時代で、彼は赴任地を離れるときに退社、東京で独立しました。こちらは、あちこち転勤を重ねましたが、上京のたびに遇って、飲んで交歓しあった。義理堅く優しい人柄でした。


 彼が結婚し子どもが生まれると、盆暮れはおもちゃやクッキー、さらにチョコやケーキに変わり、元の夫婦二人に戻ると、お茶葉や和菓子に変わり、お孫さんが生まれると、またその繰り返しと、長い付き合いでした。仕事を通じて親しくなり、ずっと続いていた友情は、彼でもって終わり、誰もいなくなりました。


 長く生きるのは考えものです!、身近なひとに先立たれると、せつない、寂しい。といって、自から昇天するわけもいかず、流されるように生きています。つらいですねとしか、いいようがない。以前も、こんなふうなことを書くと、若い人らしい方から「年寄りは早く死ね」というコメントをもらったことがありますが。


 訃報を聞いた日の真夜中から激しい腹痛、下痢で苦しみ寝込みました。夢は北陸の長い冬の屈託や北アルプスの山々の爽快な風景、山海の味など、あれやこれやが駆け巡りました。


 連れ合いを同じ食事をしているのに、連れ合いは平気です。メンタル面が動揺すると、身体まで不安定になってしまう一週間でした。

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