退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

年賀状のこと

 年賀状を出さなくなったのは、古希(70才)を迎えた年からです。


 それまでは印刷を業者に頼んだり、パソコンを使えるようになると、工夫したカラー写真を添えて自分で印刷したりしていましたが、だんだん面倒になってきました。


 いただく年賀状も毎年おんなじ文面だったり、一言の添え書きもない年賀所ソフトのままの無味乾燥のものが多くなりました。年一回の消息確認状みたいになってしまいました。要するに、虚礼に近く、義理というか、マンネリの年賀状が増えてきたからです。


 55才で繰り上げ定年退職をしましたので、15年もたつと、仕事上で世話になった人とは、ほぼ疎遠になりました。勤め先の先輩、同輩、後輩たちとも年に一度会うことさえ、少なくなりました。ぼくは、仕事は仕事で十分一生懸命に働いた。退職したあとまで、厄介な人間関係はゴメンというタチなので、それも辞めるのに都合よかった。


 買い物先のスーパーの入り口近くで郵便局員が、年賀状を出張販売しています。寒いのに気の毒なことだ同情します。こういう光景を見ると、モノを売るような仕事につかなくてよかった、と思います。


 どうやらネットやスマホの普及で年賀状の売れ行きは激減しているそうです。そのため局員は身分の応じて、販売ノルマを課せられて、悲鳴を上げていると聞きます。千枚も二千枚も割り当てられ、さばききれず、自腹で購入し、買いたたかれるのを承知でチケット屋にもち込んでいる人もいるという話を聞いたことがあります。こうなると、師走は地獄ですね。


 年賀状をやめることにしたとき、いちばん考えたのは、受け取った人が縁切り状とか、まさかと思いますが、絶好状とかと思いはしないかということでした。「来春からこれまでご厚誼を受けてきました、すべての皆様に年賀状を差し上げないことを決めました。はなはだ勝手ながら、老いの身の一徹です、ご了承ください」」なんてことを書いたように覚えています。


 それでも,ピタッと止まることはありませんでしたね。送られてきた年賀状には「返り年賀状」に同じ趣旨のことを書いて送り、二、三年もすると、来なくなりました。いまでは、販促宣伝みたいなものが来るだけです。退職後の山歩きやスポーツジムなど増えた友人知人には、メールのやりとりで済ませています。これで、少しも困ることはありません。


 年賀状は、和のゆかしい文化ですという話もありますが、洋にだってクリスマスカードやニューイヤー・カードを送る習慣があります。それぞれに近況や祝意を添えて贈り合う愉しみを否定するものでがありませんが、近年、めっきり年賀状の売れ行きが減っているのは、ぼくと同じ考えをしている人も少なくないのかもしれません。


 むかし、ある女性評論家の年賀状の思い出を書いたエッセイを読んだことがありました。大手都市銀行の役員を務める父は、元旦の朝、届いた2千枚を超す年賀状の山をテーブルに積み上げて得意そうに読んでいた。ところが、退職するや、その年の年賀状は一気に激減、百枚にも満たなくなって、父は初めて年賀状にも露骨な利得からむ人間関係がこめられたことに気づいて消沈、、、、といった筋でした。エリートの愚かな内面です。


 老いて人間関係がせまくなるにつれ、盛時に比べ、徐々に減ってくる年賀状の数を見つめるのはつらいことです。そんな元旦の朝を迎えぬように、年賀状廃止は効果的です。これも一種の「終活」にちがいありません。

×

非ログインユーザーとして返信する