退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

パンツ愚考

 週二に、三回、スポーツジムへ行きます。平日の午後ですから、来ている人は、ほとんどおっちゃん、おばさんです。ロッカールームで着替えたり、シャワーを浴びるため衣類を脱ぎます。


 他人の着脱を見るともなく見ていて、ふと気がついた驚きの事実がありました。とはいっても、ぼくの気づきが遅すぎたのかもしれません。ハゲや白髪、干物みたいなガリガリやビール腹などさまざまな体形のおっちゃんたちですが、そろって色物のパンツをはいているのです。


 青、黒、グレイ、赤、ピンク、ストライプ、なにやら花柄や月や星のイラスト柄入り、海外ブランドなのかカラフルな水着のようなものまで、いつの間にか、男物パンツから白物が追放されていました。そう思ってみると、ぼくも黒やエンジが多い。


 ぼくの父は、明治生まれで、亡くなるまでふんどし(クラシック・パンツ)を締めていました。あれで風呂上りうろうろされるのは、子ども心にイヤなものでした。三人目の配偶者が恥ずかしがり、入院した父にパンツをはかせたが、その下にふんどしたというこだわりがありました。


 パッチ、股引、ステテコ、ズボン下と呼んだ下着類もすべて白でした。防寒用のラクダだけは、その名の通りでした。


 川端康成の名作『雪国』は二度映画化されています。確か岸恵子が芸者駒子を演じたとき、男が入浴している間に駒子が更衣かごに白いパンツを差し入れるシーンがありました。これで男女の関係の深さがわかります。大学に入った頃の映画で、よく覚えています。あの当時の男物パンツはみんなサルマタ(猿股、または申又)型の白だったのす。


 ぼくの子どものころは、莫大小(メリヤス)のシャツ、木綿のパンツをはいていました。学生のころ、アイビーリーグのファッションで売り出したVANジャケットが大流行して、オックスフォ‐ド地のボタンダウンのシャツを着こんで粋がってました。


 あのVANの創業者、石津謙介さんが、入院したとき、真っ赤なパンツをはいていて、当時の看護婦(看護師)さんは、「おっしゃれ!」、びっくりして代わる代わる見に来たという逸話を読んだことがあります。


 それくらい男物パンツは白というのが”ニッポンの常識”でした。いつごろから色物に変わったのか(、、、と大上段に振りかぶるほどの問題ではないのですが)。連れ合いは、ユニセックスが売りのユニクロが普及したり、「ワコール メン」が出てきたころからとちゃいますか、といいいます。それなら、もう20年くらい前からです。


 もう一つの大きな変化は、風通しのよいサルマタ(トランクス型)ようなスタイルが影を潜め、ほとんんどが、股下が短く密着するブリーフ型、水泳パンツ型になっていることです。いまや子どもたちも、そうだと思います。


 これはスリムなズボンスタイルに合わせた変化かもせれませんが、この股間の風通しが悪いパンツはこそ、草食系男子を生み出す原因ではないかと、思い切り飛躍した考えにたどり着きます。


 なぜなら、俗に金玉と言われるアレが、体外でぶら下がっているのは、温度を下げるため、というのが定説です。哺乳類の雄はすべてそうです。温度が上がると精子ができにくいのです。あれはクルマなどにある空冷式のラジエーターの役割をしていて、エンジンが過熱しないよう機能調整を果たしているのです、


 したがって体にフィットして、暖衣になるブリーフ・タイプは、男性の摂理に反しているいるのではないか、という疑問が浮びます。地球温暖化は進むは、男性は子供の時からぬくぬくパンツ化では、人類滅亡は早まるのかもしれない。 知らんけど!。

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